01:ロボットの恋

その森に訪れたのは帰省の折のことで
そもそも私有地であったからして、
入ったことは無かった。
随分前から野ざらしにされていたであろう木の柵には
『ここから先私有地』と云った警告文が書かれている。
村の人も皆此処には入ろうとせず、もうずっと
このままの状態なのだそうだ。
しかし興味はある、この先に何があるのか、
入って出てきたものはいないだとか、死体が
わんさか出てくるだとかそういった怪談の類も聴かない
ことからこの広大な森は誰かの管理している至極
まっとうな土地のようだった。
開けてみれば、ただの廃屋があるだけなのかもしれないし、
また気難しそうな老人の一人くらいは住んでいるのかもしれない、
何、見つかれば謝ればいいだけの話で、迷ったとでも
云えばそれでいいのだ。
自分にそう言い聞かせて好奇心の赴くままに
柵を越えその森へと踏み出した。

広い森だ。
何処までも鬱蒼と茂る青々とした新緑が広がっている。
水の香がすることから近くに川か何か流れているのかも
しれない。時折、チチチ、と高らかに啼く鳥の聲が
優しく響いて穏やかな午后の散策にはぴったりの森だった。
途中見つけた野苺を齧ると甘く爽やかな風味が口いっぱいに広がった。
どのくらい歩いただろう、もう小一時間くらいにはなろうか、


「誰かいるのか?」

はっ、とした。
見つかった!と思い慌てて聲のした方向を向けば
人のシルエットが見えた。
「すみません、迷って仕舞ったようで」
手をあげながら、申し訳無いという様子で相手に近付けば、
かまわない、と小さく返事があった。
どうやら何かを抱えているらしい、
さっと木々の間から抜け出た男は亜麻色の髪の若い青年だった。
「花・・・」
青年が抱えているのは花だ、手いっぱいに色取り取りの花が
抱えられている。
「ああ、綺麗だろう」
不思議な笑みを浮かべた青年は歩きだした。
咄嗟にそれを追うように後に続いた。
この私有地の管理者なのだろうか、それとも持ち主なのかもしれない、
どちらにせよ、この青年が何者なのか興味があった。
青年はゆっくり歩き、少し進んだところで、歩みを止めた。

「凄い・・・」
綺麗な空間だった。
樹々が其処だけ開けている。
真ん中に大きな樹が一本、枝葉を広げていて、
まるで楽園のような場所だ、と思った。
青年はその樹の傍に花を置き、樹の下が定位置のように
穏やかな顔を浮かべて座る。
それは一枚の絵画のように幻想的な風景だった。
よく見れば其処には青年が抱えていたものよりもずっと沢山の
花がある、花に埋もれていて中心が何かわからないが何か石のような
ものがあるようだった。

「綺麗ですね」
青年は少し笑みを浮かべ頷いた。
「人と話すのは久しぶりだ、」
言葉を区切った男に慌てて自己紹介をする。
「僕は近くの村の者です、五年ぶりに帰省してあたりを散策していたのですが、
貴方の土地に入って仕舞って、申し訳ありません」
頭を下げれば、青年は、「俺の土地では無いよ」と言葉を返した。
「では貴方は土地の管理人なのですか?」
「そうなるな」
兼ねてからの疑問がつい口に出て仕舞う、何せ此処の話は誰も知らないのだ。
「では持ち主はどちらに?」
青年はゆっくりと横に置かれた花を撫ぜた。
愛おしむように優しい仕草だ。
そしてぽつ、と呟いた。
「此処に」
青年が地面に触れ、それが何なのか悟る。
「お墓・・・」
「主人は今から258年21時間46分22秒前に生命活動を停止した」
ぽつぽつと漏らされる言葉に、僕は「え?」と目を見開いた。
「主人の名は曹子桓と云う、長い髪を一つに束ねて、薄い青の眼の、
俺を作った優秀な科学者だった」
「君は人間では無いのか?」
何かの冗談だろうか、これではまるでSF小説だ、
そんなことあるわけない、あるわけない、と青年の眼を見つめた時に
気が付いた。
ジ、ジ、と電子音がする、その青年の眼に何かの文字が見える。
明らかに人間でないそれは、
「ロボット・・・」
そんな莫迦な、と呟いたけれど、現実に目の前の青年は存在し、
亡くした主人の話をする。
これを世間に広めれば僕は一躍有名人になれるかもしれない、
大金持ちになれるかもしれない、
けれども、青年の言葉が僕に突き刺さるように木霊する。
「ずっと、待っている」
「何を待っているの?」
「帰りを」
かえり、と云った青年は懐かしそうに目を細めた。
人が死ぬと生き返りはしないのだ、それを伝えたいけれど
言葉にするのは憚られた。
そんな僕の様子を察したのか青年は見透かしたように言葉を続けた。
「俺とて人間が『死』を迎えるのは知っている、人は死ぬ、
現に使用人達は皆年老いて死んだ、その子達は時折様子を見に来て
くれるが、皆いつか死ぬ、主人が死んで俺は最後の言葉通り此処に埋めた、
この樹ももうこんなに大きくなって仕舞った、
ここにあるのは土に返った骨だけだ」
「じゃあ、君は何を・・・」
待っているのか、と僕は問うた、
ロボットの青年は顔を上げ僕を真っ直ぐに見た。

「いつか、必ず帰ってくると、目を閉じる前に云ったのだ」
いつか、必ず帰ってくると、
そう云い残した科学者を僕は思い浮かべる。
どんな気持ちで云ったのだろう、
彼も人間で、いつか終わりが来るのはわかっているのに、
どうしてそんなことを云ったのか、
本当に帰ってくるつもりだったのだろうか、
否、そんな筈は無い、だって彼は埋めろと云ったのだ、
そっと優しく花の中心にある主人を埋めた場所をロボットは
撫ぜた。そこから溢れる切なさと愛しさに僕は悟る。

科学者は自分の死を知っていた。
自分で造り出したロボットを残すことが彼の気懸りだったのかも
しれない、否、そうなのだろう、たった一人悠久を生きる
このロボットが愛しかったのか、結局破壊することもできず、
自分で造ったこの青年に最後の道を標したのだ。
(自分はいつか必ずお前の元へ帰ってくると)
(だからそれまで待っていて欲しいと)


ロボットはその言葉を信じいつまでもいつまでも
待ち続ける。失った主人が帰ってくるのを
百年でも千年でも待ち続けるのだ。

それを想い僕はそっとその森を後にした。
この密やかな森の奥に佇む哀しいロボット、
主人の帰りを待ち続けるその姿を目に焼き付ける。
そこに潜む、切なさとそれを凌ぐ深い想いに、
それが羨ましいと少しだけ思った。

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