04:ピアニストの恋

「うわっと・・・」
と、と、と足で飛びながら障害物を乗り越える。
「お前いい加減片付けろ」
曹丕の部屋だ。
東側のそれなりに広い部屋で、
少なくとも三成の部屋よりずっと広い。
(最も、今は三成が殆ど自室に帰らず曹丕の部屋で
暮らしているので二人ではちょうど、と云ったサイズだ)
曹丕の部屋には大きなグランドピアノと楽譜、楽譜、
楽譜、の山である。時折その楽譜や音楽書の山の上に
更に曹丕が脱ぎ捨てた服が散っていてもう何がなんだか
わからない、カオスである。
辛うじて生ゴミだけは棄てているのでその点だけは
まだマシと云えようが、あくまで『マシ』というだけで
酷いことに変わりは無かった。
曹丕を呼べば、もぞ、と曹丕がベッドから顔を出す。
上半身どころか全裸である。
昨夜の行為そのままに寝て仕舞ったので当然といえば
そうなのだが、曹丕は枕元に置いてあったワインの残りを
確認し、だらしなく飲み干した。

「この間の推薦、断ったそうだな」
三成は服の山からかろうじて着れそうなジーンズを
探し曹丕に投げた。
「ああ、気が乗らなかった」
「全く、お前は・・・」
曹丕はいつもそうだ。
一度ピアノに向かい音を奏でると別人のように
天才の旋律を響かせるが、そうでない時は
いつも自堕落に過ごす。
資産家である曹家の出なのだから、部屋だって
ハウスキーパーに任せれば綺麗なものの、
元々人嫌いな性質の為に、曹丕が解雇して仕舞った。
結局二つ向こうのアパートで居を構える三成が
片付ける羽目になる。
「実家から呼び出しが来ているんだろう」
三成は曹丕と同じ学校だ。
学科こそ違うが、曹丕と同じく才能を見込まれて
互いに留学する身だった。
最初に曹丕の演奏を聴いた時、居ても立ってもいられなくて
曹丕の前に立ったのは三成だ。
それから体の関係そのままに引き摺る形で曹丕と付き合っている。
汚れた皿を端へ追いやり、パスタを茹でながら三成は言葉を続けた。
「お前、いつまでもこのままというわけにはいかないだろうが」
曹丕を見れば、空になったワインボトルを床に投げ、
先程三成が投げたジーンズを履いている。
「シャツはクローゼットの前にかけてある」
だるそうにシャツを羽織る曹丕も美しいは美しいが、
まあなんにせよ嘘みたいに綺麗な男だから、自堕落だろうが
ぴしっとしていようが絵になるのだが、
些か呆れる。
この男、何から何まで世話をしてやらないと何もしないのだ。
食事も、洗濯も、掃除も、その癖人嫌いで、気難しい、
頭が良いだけにこうなると手もつけられない。
その癖三成だけは赦すらしく、結局こうして三成が
曹丕の世話をするに至る。

ほら、と茹でたパスタにオリーブオイルで炒めた鶏肉とにんにくを和え、
皿に乗せて差し出せば曹丕は床の座れる処を探して
(それにはいくつかの楽譜の山を退けなければならなかった)
遅めの朝食となった。
「実家には帰らないと伝えた」
「何故だ?」
曹丕の実家は資産家だ。
帰っても食うに困らないだろうし、
少なくとも今のこの生活よりはずっといい、
学校も直に卒業で、
曹丕ほどの腕ならば有名楽団にだって引く手数多の筈だ。
当然ピアニストになるものだと思っていたし、
だからこそ、三成は音楽史を専攻している身として
曹丕は音楽史の歴史に残るような名ピアニストになると
確信していた。
「もう少し此処に居る」
「此処にって・・・」
居たってどうにかなるものでも無い、
此処にいてこれ以上何を学ぶのか、
三成は確かにまだこちらで学ぶこともあって残るのだが
しかし曹丕はどうするというのか、
今迄のように自堕落に生活をして時折三成の
働くバーでピアノを演奏して小銭を稼いで、
それだけだ。

「莫迦な、曹丕、お前どうしたんだ?」
思わず問いただす。
三成とて曹丕の将来に期待もしているのだ。
自分には無い天性の才能を持ちそれを当然と
振舞える目の前の天才に。
しかし曹丕は弱々しく首を振る。

「別にピアノなら何処でも弾ける」
「何を・・・」
お前はもっと有名になって、立派なピアニストに、
と口を開いたところで、三成の言葉は止まった。

「行ったらお前はいないではないか」
その言葉に三成は硬直した。

( ああ・・・ )
( お前は・・・ )


三成と離れるのが厭だと駄々を捏ねる男が
愛しくてたまらない。
滅多に愛情表現などしないくせ、時折こんな
爆弾を落とすのだ。
ああ、これだから自分は曹丕を手放せない。
「そうか、なら好きにしろ」

もう少し、
もう少しだけ、この自堕落で愛しい日々を、

「ならば今日は部屋を片付けようか」

二人、生きていく道を探す時間を
もう少しだけ、
そう祈るように傍らの存在を抱き締めた。

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