19:天才少年の恋

天才と謳われた少年は未だ十一で、
一体人生の十一年で何がわかるというのか、
いつも何かに追いまわされる少年が
少し可哀想に思えた。
その少年の話を聴いたのは学会の折だった。
「だからね、先方が君の論文を見て是非にと」
「はぁ」
面倒だ、と一蹴してもよかったが
何故かそうできなかった。
講師代が破格だったというのもあるが、
ただ、写真の少年があまりにも無表情だったのが
気になったのかもしれない。

或いは、その薄い青の瞳に
魅入られていたのかもしれなかった。

「初めまして」
と差し伸べた手は何も掴まなかった。
曹丕と呼ばれる少年は何事にも突出した
曹家の出であるが、その中でも異彩を放つ。
彼の論文は既に学会でも波紋を呼んでいたし、
その視点の広さには大人顔負けのものがあった。
今更自分が講師などしても無意味に思えたが、
契約は三ヶ月だ。
三ヶ月、少年の講師をする為に三成は此処へ来た。

曹丕と云う少年は完璧だった。
問答に迷いが無い、躊躇いひとつ見せない。
大人を簡単に云い負かして、何人もの講師が
首になったのも頷けた。
三成は曹丕の知性にのめりこむように
講義に没頭していったのも直ぐのことだった。

しかし曹丕と生活をしていて気になることがある。
宛がわれた離れの部屋は居心地良く、
手入れの行き届いた庭を眺められる部屋だ。
綺麗な調度品に、講師として来た三成を気遣った
図書類も充実している。
食事も生活も万全で、週に一度の休暇も
運転手付きで出かけられる。
しかし、曹丕は独りだった。
広い屋敷に独りだ。
誰も曹丕の部屋のある別邸には近づかず、
食事もひとりのようだった。
今もぽつん、と広い庭にひとり曹丕は佇む。
今迄何度となく見た景色だ。
最初は何かを思案しているのかと思っていた。
けれども曹丕は其処から動かない。
誰か、気の利いた庭師だろうか、屋敷の者が作った
樹にかけられたブランコの前から曹丕は動かない。
ブランコに腰かけることも乗ることも無く
ただ佇む。
十一歳の子供らしからぬその様子に
見兼ねた三成が曹丕の後ろに立った。

「乗らないのか」
曹丕はぽつりと呟いた。
「こんなもの」
乗ったって仕様が無い。
「案外楽しいかもしれんぞ」
曹丕は矢張り其処から動かなかった。
「・・・弟が使うだろう」
曹丕の弟は未だ幼い、父である曹操が溺愛していると聴いた。
目に入れても痛くないほどの可愛がりようで、
帰ったら直ぐ本邸の家族が暮らす場所へ行くのだと。
しかし其処に曹丕はいない。
曹丕は其処から切り離されている。
どこか歪な家族の姿だった。
けれども曹丕はたった十一歳で、
「俺には必要無い」
そんな言葉を放つ背は小さく慄えていて、
「俺には何もいらない」
三成は曹丕の脇に手を入れ抱きあげる。
驚くほど軽い身体を抱え、ブランコに座って漕ぎだした。

「何をする、、!」
何も云わず、高く高く漕いでいく。
風を凪いで、優しく三成を曹丕を揺らしていく。
一番高くまで漕いで、見る。
酷く綺麗で鮮やかな夕焼けが辺り一面に広がった。
「あ、」
眩しいほど鮮やかな夕焼けが街を曹丕を照らしていく。
「いいものだろう、こういう無駄なことも」
そっと抱き締めれば曹丕は少し、ほんの少し慄え、
そして聲を漏らさずただ泣いた。

講師として仕事の最後の日に
曹丕は三成を見送った。
車越しに手を振れば、弾けるように曹丕が駆け出した。
奔るなんて、あの子供がそんなこと、
周りにいた護衛が慌てて曹丕を追いかける。
曹丕はそれでも三成の車を追って
叫んだ。

窓を開け振り返る。
曹丕は必死に手を伸ばす。
いつだって何一つ迷わない、いつだって何も躊躇わないお前が、
「お前が、いい」
莫迦みたいに必死に奔って、三成を呼ぶ。
「お前がいいんだ、三成」


その日から変わったものもあるし変わらないものもある。
ただ、あれからずっと傍らに三成が居て、
曹丕はその隣で、不器用に、けれどもあたたかい何かを
抱え、幸せの欠片を沢山降り積もらせる。
繋いだ指は暖かく互いの鼓動を通わせて輝いている。

http://zain.moo.jp/3h/