21:嫌われ者の恋
※懿→丕→←三

誰にも交わることのないひとだった。
他を寄せ付けず、孤高の存在として
独り佇むその居姿に、心が慄えたのは司馬懿だ。
孤独と冷たさだけが同胞とでも云うかのように、
研ぎ澄まされた怜悧な美貌に呑みこまれるように
惹かれ求めたのは他ならぬ自身であった。
誰しも曹丕に何かを見出し、近付く、
それは父たる曹操の威光であったり、彼の自身の
壮絶な美貌であったり
様々であったが花が虫を惹き寄せるように
人の薄暗い部分を曹丕は引き寄せた。
しかし曹丕は誰にも染まらない。
その透明な水は誰にも波立てることなど
できない。

( それでいい )
と司馬懿は思った。
それでこそ曹丕なのだと、
曹子桓たる存在なのだと。
誰にも侵すことのできない絶対の存在なのだ。
だからこそ司馬懿は曹丕に尽くした。
誰にも染まらぬ孤独を愛しているのは自分だけなのだと
孤独を理解しているのは自分だけなのだという愉悦、
司馬懿に応えはしないが、それでも曹丕は
司馬懿の手しか掴まない、掴めないように、
否、元々魏という、父という鎖に阻まれていた曹丕だ、
熾烈な後継争いの中、他に誰の手を掴めようか、
司馬懿以外縋る手など無かった筈だ。
少なくとも、自分も、曹丕も『それでいい』と
思っていた。
( 世界が変わるまでは )

曹丕は鏡なのだ。
誰しもその権力や容姿を利用しようと近づく、
曹丕は何も返さない、望まれれば見返りこそ
渡そうが、心の欠片すら見せぬ男だ。
鏡は醜い思惑を抱えた自分を見せる。
鏡は一片の曇り無く、罅すらも無く、
ただ冷たくそこに在る。
( しかしどうだ、今は )
遠呂智がこの世界を支配してから、魏は遠呂智に
表向き下った。
滅びへ向かう魏を残す為に曹丕と司馬懿が
出した一番傷の少ない策だ。
遠呂智側は案の定曹丕と離した。
しかし、それでも曹丕という存在が揺らぐことは無いと
信じていた。誰もあの鏡を砕くことなど出来ぬのだと、
決して溶けない氷のように、何者にも染まらぬように。
( 石田、三成、 )
司馬懿は口の中でその名を反芻した。
その名が憎くて仕方無い。

当たり前のように、司馬懿の居た場所に立つ男、
妲己から曹丕の監視として仕わされた男だと聴く。
内心せせら哂った、互いにぎくしゃくして、
それでも石田とやらが曹丕の邪魔にならなければ
何一つ問題無いのだと、
曹丕には自分が居るのだ。何の問題があろう。
如何なる障害をも覆す自信が司馬懿にはあった。
( いつからだ )
いつから、いつからあの曹丕が三成に対して
心許すようになったのか、
まるで人のように、あの氷の彫像のような男が
表情を変えるようになったのか。
褥ですらあの氷の仮面を崩さぬ男が、
何故?と叫びたくなった。
当然のように曹丕の隣に佇む男を
引き摺りその多少見栄えのする顔を見れぬように
してやりたい、思いつくあらゆる限りの残虐を
身に刻んでやりたい。
ふと顔を上げれば曹丕と目線が合った。

「仲達か」
「お久しゅう御座いますな」
「問題無い、書は届いている」
司馬懿の前ではあの氷のままだ。
隣に居る三成の視線を感じて司馬懿はつう、と目線を合わせた。
嫉妬が入り混じった顔、露骨すぎるこの男!
こんな男の何がいいのか、司馬懿には理解出来無い。
曹丕の崇高さを解せぬ男に何の価値があろうかと
この男を貶める策を頭に画策する。
曹丕は孤独であればいい、誰のものにもならぬ
その美しさをただ愛したい、それが司馬懿の愛し方だ。
「では、軍議がありますので、また後ほど」
頭を下げ、反対の方向に歩き始めた処で
三成に呼び止められた。

「司馬懿殿」
「おや、何用か?」
冷笑さえ含ませて三成を見る。
三成はただ真っ直ぐ司馬懿を見た。

「貴殿と曹丕の関係に俺がとやかく云う筋では無いだろうが」
当然だ、三成ごときに曹丕とのことを云われてたまるものか、と
せせら哂いたくなる。
しかし三成は真っ直ぐ、司馬懿から目を逸らさずに云った。
「貴殿の理想を曹丕に押し付けるものでは無い」
「何のことか?」
司馬懿の返事を予想していたように、三成は
少し目を閉じ、「失礼した」とその場を去った。
場に残された司馬懿は怒りに慄える。

「理想だと?貴様こそ何のつもりだ石田三成、」
曹丕にあんな顔をさせて、
あのような遠くまで心を追いやって仕舞って、
曹丕を変えたのは三成だ。
そんな三成を殺してやりたい。

三成を殺し、一片の欠片すら残らぬよう
曹丕の心を砕いて仕舞って、
そして、立ち尽くす曹丕に優しく手を差し伸べる。
傀儡のように崩れる心失くした人形の手は冷たく、
しかし決して司馬懿はその手を離さぬだろう。
曹丕はそうして本当に孤独になる、
その孤独の傍らに佇む自分を想像して、
司馬懿は薄ら笑みを浮かべた。

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