22:紳士の恋

会わせたいからと、無理に友人に
連れられて行った先は社交界だった。
止む無くとはいえ矢張り肌に合わない。
一度師事している先生にも連れられたことが
あるが、どうしても三成の気質には合わなかった。
こんなものに行くくらいなら家で文献を
漁って勉強していた方が余程有効な時間の使い方である。
適当に切りあげてさっさと帰宅しようと壁に凭れたところで
ふ、と目線があった。

( 貴族・・・ )
三成は貴族が嫌いだ。
人を蔑み、嫉み、自分達こそが
選ばれた人間であるという奢り昂った愚者の集まりだ。
その癖、自分より立場が上の者には平気で媚へつらう。
他人を売り、裏切り、策謀を巡らせ貶める。
貴族ほど醜い生き物を三成は知らない。
その階級は下に支える民が居てこそ成りたっている
ことすら顧みないこの貴族社会を嫌悪していた。
しかし、貴族に媚てでも三成は医学を学びたかった。
教会に幼い頃に捨てられ其処で育てられた三成は
学こそ無かったが懸命に働いた。神父の勧めで
学ぶことの歓びを教えられ、必死に勉強をした。
それでも流行り病で無残に死んで逝く幼い命や
優しいひとたちを救えなかったことが三成を
医学へと従事させた。
漸く今の師に学び、医者の卵として此処まで来た。
貴族に媚なければ成らないものではあったが、
それでもいつか、あの教会で貧しい人達の為に
医学を役立てることこそが自身の使命であると
懸命に頑張っていた。苦学生ではあったが、
僅かな医療器具と本さえあればそれで良かった。

「三成、此処だ!」
友人の聲に我に返る。
実家が豪商で最近妹が伯爵家に腰入れしたという
それなりに裕福な家柄の友人はいつも三成に
気さくであった。取っつき易い気のいい友人では
あったが、それでも、三成の居る世界とのギャップを
いつも感じる。
しかしコネクションも必要だ、と強く云われ、
此処に連れてこられた。
近付けば、先ほど目線が合った貴族らしい。
「此方は、曹丕様だ、公爵家であらせられる」
「・・・石田、三成だ」
形式程度に手を差し出せば、曹丕という男は
三成をじっと見据えた。
「私は曹子桓、医学を勉強されているとか」
はい、とただ頭を下げれば、そうか、と曹丕は
言葉を返した。それだけだった。
「三成は学会始まって以来の秀才なんですよ」
友人がそう云えば、曹丕は再び頷き、
「では、また」と手短に挨拶を済ませ、
あっという間に別の人間に囲まれて何かを談笑しているようだった。

「おい」
友人が三成を小突く。
「何だ?」
「お前運がいいよ」
「何故?」
何が運だというのか、三成には皆目見当が付かない。
「曹丕様だよ、公爵家の、親父の商談の関係で一度会ったことが
あってな、今日此処に来るなんて聴いて無かった、凄い偶然だぜ」
「お前が会わせたい男では無かったのか」
「違うよ、あれはほんとたまたま!俺が会わせたかったのは
ほら、学会に出入りしているさる男爵の方さ、所蔵が凄いんだ」
へえ、と三成が相槌を打った。確かに蔵書には興味がある。
上手く近付けば何冊かは見せて貰える可能性だってある。
学会ということは間違いなく医学書であろう。
しかし、三成は先ほど会った男を想い出した。
曹子桓、公爵家の、つまり王侯の血筋の男だ。
( ハーフだろうか )
東洋的な顔立ちの青い目の男、酷く整った容姿を
ひけらかすでも無く、静かな、氷のような男だった。
( いいや、あれも所詮貴族だ )
もう二度と会うことも無い。
そう頭を振って、三成は友人に付き合い、その夜を過ごした。

数日後のことだ。
信じられないような手紙が届けられた。
「曹家の・・・?」
使いの男が差し出した手紙に、まさか、と
急いで開封をした。
中身は矢張り先日会った曹丕からである。
先日は急いでいて、挨拶のみで去ったことに対する
非礼と、そして医学に従事する三成を知り、
少しでも協力できることは無いか、という
申し出と、どちらにせよ一度きちんと会いたいという
真摯な文章であった。
三成のような苦学生からすれば天にも昇るような申し出である。
文章の様子から三成のことを調べたのだろう、しかし、そこからは
貴族的な威圧感は無い、むしろ好意的なものを感じた。
慌てて身支度をして、ボロアパートの前に停まる馬車に
飛び乗った。中も流石公爵家である。遜色無い内装で
まるで夢のようだった。


「先日は失礼をした」
部屋に入って来た曹丕に云われ、立ち上がる。
「いえ、こちらこそ、お招き頂いて・・・何と云っていいのか」
恐縮する三成をやんわり制し、曹丕はテラスの窓を開けた。
風は心地良く初夏の香を運んでくる。
「別に気に病まれることは無い、」
曹丕の言葉に三成は昂った心が冷える、そして悟った。
( これは慈善事業では無い )
思惑があるということだ。
「世話役の勧めでな」
しかしそれでも構わない。
貴族的な体裁を繕う施しでも良かった。
学べるのなら、と三成ははっきり口にした。
「面白い男だな、お前は」
「ただの苦学生にしか過ぎません」
「貴族が嫌か」
曹丕の言葉に三成はゆっくり頷いた。
曹丕は三成を見て満足そうに口端を上げた。
「そうか」
「では学べ、多くを学ぶがいい、今日から此処に部屋を
用意しよう、好きに使え、お前に一人付ける、
必要な物はその者が用意する、以上だ、何か質問は?」
ありません、と三成は答え、その日から三成は
曹丕の屋敷で過ごすことになった。

それから夏が来て、秋が来て、冬が来る。
少しづつ時間が過ぎて、そうして三成は理解する。
壮絶な曹家の家督争いのこと、そして妾の子であった
曹丕が長男の事故死で家督争いに駆り出されたこと、
曹丕が限り無く孤独であること。
ぱちぱちと暖炉の火が跳ねる。
本を取りに書斎へ入ったところで曹丕の存在に気が付いた。
「三成か」
頷けば、曹丕はブランデーを飲んでいるようだった。
少し度が過ぎているかもしれない。
疲れたようにただ暖炉の火を眺めている。
「勉強はどうだ」
「良くして貰っている」
敬語を使わない三成を曹丕は好んだ。
そうか、と言葉を漏らし、曹丕は考えるように椅子に肘を付く。
「お前は・・・」
「良いな、物怖じせず、真っ直ぐ歩みを止めない」
三成は黙って曹丕の言葉を聞く。
「私は柵が多いようだ」
意に沿わぬ家督争い、父親の弟への溺愛、
望まれぬこども、不気味なほど人の少ない曹丕の屋敷、
弟の館は驚くほど華やかだというのに、此処には司馬懿という
世話係りと、三成、そして最低限生活を支える手伝いの者数人だけ
だった。
曹丕には自由が無い。
何処にも無い。
貴族をあれほど莫迦にした三成であったが、
曹丕だけは違った。
見ていると切ないような、悔しいような気持ちに駆られる。
此処から連れ出して自由にしてやりたい、
このままこの美しいひとが朽ちて逝くのを見ては居られない。
けれども三成にはどうすることも出来ない。
たまに気晴らしに馬にでも誘ってくれと世話役の司馬懿に
云われ、馬術を学び、遠駆けをするのが精一杯で、
自分の医学の知識では何一つ曹丕を救うことなど
出来ないのだと思い知る。

そんな曹丕を見るのは胸が痛んだ。
再びブランデーの瓶に手を伸ばす曹丕の指を取る。
「飲み過ぎているようだ」
触れた指の先から何もかも捧げてしまいたい衝動に駆られる。
「もう寝た方がいい」
恋焦がれたこの愚かな感情を曝け出したくなる。
曹丕は薄く笑い、三成を見る。
「ではお前が私を寝室に運べ」
誘うような仕草に今にも曹丕を押し倒したくなる。
三成は否、と首を振って曹丕を抱き締めた。
「自棄などするものでは無い」
曹丕は自棄になっているのだ、と三成は云う。
その言葉に曹丕はそっと三成の背に腕を回した。
「優しいなお前は、まるで紳士だ」
三成の気持ちを知っていて敢えて誘う曹丕は卑怯だ。
だが、その卑怯な曹丕の罠をいつも三成は寸での処で押さえた。
「失礼な、俺はいつでも紳士だ」
わざとおどけて云う三成に曹丕は聲を出して
笑い、そしてその腕で眠りについた。
曹丕を支え、そっと寝室へと運びだす。
暖かい毛布を掛けてやり、その青白い頬を撫ぜた。

激しい、焦がれるような情欲を、
愛しい、切なくなるような憐憫を億尾にも出さず、
三成はその傍らにただ立ち続ける。

「俺が願うのはお前の幸せだけだ」

そっと呟いた言葉は闇に呑まれて静かに消えた。

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