03:兄/弟(義兄/義弟)

「引っ越しすることになった」
兄が唐突にそう云うので三成は黙って頷いた。
「いつだ?」
荷造りをしなければならないし、三成にだって用意が必要だ。
曹丕はネクタイを外しながら短く、明後日だ、と答えた。
「わかった」
三成はもう一度頷き、炒めた野菜を皿に乗せた。

曹丕の引っ越しはいつものことだ。
四つほど歳の違う兄は大学生の筈だ。
少なくとも大学に籍を置いてはいる。
三成も今年漸く大学にあがったので、晴れて兄と同じ大学生であった。
母を早くに亡くし、別れた筈の曹丕の父に半ば無理やり引き取られたが、
曹丕と父の折り合いが悪かった。義父にとって血の繋がらない三成は
余計なものであった、三成を養子に出す、出さないの処遇で揉めたのだ。
母には他に肉親などいなかったので曹丕がいなければ三成は天涯孤独の身であった。
結局、曹丕は高二の時に未だ中学生だった三成を連れて家を出た。
あれから曹家の手が伸びては揉め、伸びては揉めを繰り返し、
家に戻る戻らないの問答に曹丕が痺れを切らし、
数ヶ月置きに住処を替えるという事態に至っている。
結局どうしようといずれは曹家の手が伸びる。それは曹丕もわかっている筈だ。
曹家にしてみれば曹丕は大事な跡取りだ。
それから逃れることなどできる筈もなかった。
けれども曹丕はこの生活を続けている。母の遺産と互いにバイトをしたお金で
学費と生活費を捻出して、なんとか二人で生活をしていた。

「大学は?」
「悪いが暫く休んでくれ、今度は少し遠くになる」
「ならばいっそ通信制に切り替えようか」
三成がそう云えば曹丕は首を振った。
そもそも大学に進学するお金の殆どは曹丕がバイトで稼いだお金であった。
三成は就職する、と云い張ったのだが、これは曹丕が頑として譲らなかった。
大学を卒業させるまでが兄の務めであると思っているのだ。
「しかし何時までもというわけにも行くまい」
曹丕は少し唸る、しかし三成の譲歩案にはやはり首を振らなかった。
「二ヶ月程度凌げればいい、後は俺がなんとかしよう」
二ヶ月、と兄が珍しく時間を切るので、この二ヶ月で何があるのか、と
三成は思案して、思い当ったのは曹家の本社ビルの建設が完了するという
ことだった。恐らく今捕まればその披露会からは逃れられないだろう。
曹丕は顔を顰めたまま新聞から目を逸らさなかった。
( いまいましい曹家のニュースが載っているのだな )
「バイトはまた探すとして、荷物だな」
何時でも引っ越せるようにとダンボールは壁の端に常にあった。
その都度成るべく荷物は増やさないように心掛けているが
三成が大学にあがったばかりというのもあって、常より少し荷物が増えそうではある。
何処から片付けようか、と思いを巡らす三成に曹丕は唐突に顔をあげた。

「辛くないか?」
もう六年になる。
逃げまわるこの生活が、
「辛い?」
三成は思わず問い返した。
「何が辛いのだ?」
辛いなどと三成は一度も思ったことはない。
何故なら兄は三成が生まれた時から兄として存在していたし、
常に三成の庇護者であった。
時折僅か四つしか年が違わないのに常に冷静で敏い兄を見ていて
苦しくなることはある。それを辛いというのならそうなのかもしれない。
だが、辛いのは兄なのだ。
十七の時から三成を連れてずっと逃げるように生活をして、
母が居た時は良かった。母は気丈な人であったし、曹丕も曹家から
守っていたのだろう。
けれども、その母はもういない、曹丕は三成を捨てることができないが
故に今の生活に至る。
いっそ捨てたらいいのだ。
三成ももう十八だ。捨てたところで死ぬわけではない。
何度となく今までそう思ってきた、だがそれを口にするのは憚られた。
曹丕は言葉少ない人であったが、三成には優しい。
四つ年下の義弟にだけその愛情を向ける。
その優しさを拒むことなど三成にはできなかった。
曹丕が三成を捨てられないように
三成も曹丕を切って捨てることなどできないのだ。

「ガムテープを切らしている」
コンビニまで行ってくる、と三成が云えば、曹丕も立ち上がり
上着を羽織った。
「俺も行こう」
二人ドアを開けて家を出る。
道中何も語らず二人はただ歩いた。
二日後にはこの場所からもいなくなっているのだろう。

何処へ行くのか三成は訊かない。
曹丕も云わない。
何処へ行こうと互いが共にあればそれでいい。
少なくとも曹丕は三成が大学を卒業するまでこの生活を
続けるのだろう。
逃げるように、兄としての義務を果たすために、
そして、庇護すべき弟の為に。
三成はそれを想い少し笑った。
「どうした?」
「いや、何でもない」

兄さん、と三成は曹丕の手を握った。
繋いだ曹丕の指先からじわり、と胸の内が痺れる気がして、三成はまた笑った。

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