06:祖父/祖母

祖父は昔から苦手であった。
三成はじんわり、夏の日差しを受け、流れ落ちる汗を拭った。
三成の田舎は山奥であった。山奥に広大な土地を持つ祖父の家で
夏を過ごすのが昔からの習慣であったし、三成の家の習わしであった。

「車が無いとは・・・」
常ならば駅で待機している筈の車が無い。
電話を掛ければ急な故障で遅れるとのこと。
痺れを切らして三成は歩いて行く、と返事をし、
長い山道を登っている。
車ではさほど時間のかからない距離も歩くのでは大違いだ。
鷹を括っていたと後悔しても遅い。
三成は鬱蒼とした緑の樹木の中を抜け、漸く見えてきた
屋敷に目を細めた。

曹丕は三成の祖父だ。
祖父というには若すぎる、曹丕は三成が子供の時分から
殆ど歳を取ったようには見えない。
一時は妖怪の類かと母に問うたこともあるが、母は笑って、
そんなことは無いと云った。たしかにそうなのだが、そう云っても
差し支え無いほど祖父は若かった。歳の頃ではどんなに見積もっても未だ
四十代で通るのではなかろうか、信じられないほど若造りの祖父であった。

「ただ今着きました」
三成が家の門を潜ると、手伝いの者が申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ない、突然のことで・・・坊ちゃん、暑かったでしょう?」
車付きの男は幼少の頃よりずっと変わらない。いささか老けたようにも
見える老人に、大丈夫だ、と笑い、渡された麦茶を一気に飲み干した。
「旦那様はいつもの書庫ですよ」
そう聲をかけられ祖父の元へ向かった。
屋敷は広い、その殆どが祖父の酔狂である古書で埋め尽くされていた。
三成もそんな祖父の血を引いているのか古書が嫌いではない。
山奥の一夏もそう退屈せずに毎年を過ごしていた。

コンコン、とドアをノックして開ければ
祖父が本に埋もれていた。
「三成か」
曹丕は本から視線を外さずに眼鏡を直した。
「今着いた」
「車の調子が悪かったそうだな、歩きか?」
タクシーを使えばよかったのだが、それすらも億劫で歩くと云ったのは三成だ。
曹丕は三成の様子をちらりと見て得心したように哂った。
「あの道を歩いたのか、御苦労なことだ」
「暑かった」
「だろうな」
曹丕は口を愉快そうに歪め、部屋へ向かおうとする三成に聲をかけた。
「シャワーを浴びるといい、それからお茶にしよう」
三成は頷いて、毎年一夏を過ごす三成の為に用意されている部屋へと
荷物を置きに上がった。
和洋折衷の不思議な造りの屋敷は静かだ。騒がしいのを好まない祖父の
家人は皆静かに過ごすし、幼少のころより幾人も居た従兄弟の中で
も三成だけが毎年家に呼ばれた。三成も幼い頃より祖父同様静かな
子供であったからなのだ、と今にして思う。
現に幼い頃会った従兄弟という者達にはあれから一度も見なかった。
これから過ごす一夏を想い三成は息を吐いた。

宵の口、夕飯も早々に終えて、書庫を漁っていると曹丕も同様に
茶を手に本に勤しむ様だった。
月明かりがやけに綺麗な宵で窓から夏の宵の涼しい風が通る。
風通りの良い其処は恰好の読書場だった。
本に目を通しながら想う。
祖父は苦手だ。
何が苦手と問われれば全て、としか三成には云い様が無い。
祖父は常に試す人だ。
幼い頃、従兄弟達を集めて、三成だけが残ったように、
現に今も三成を試しているのだ、と三成は思う。
その遺産を継ぐに相応しい者か、と曹丕は試している。
それが三成には我慢ならない。
しかし、反論は赦されない。祖父の権力は絶対だ。
反論などしたところで鼻で一蹴されるのがオチである。
しかし、それだけでは無い。
漠然と三成は曹丕が苦手だと感じた。
( 不可ない・・・ )
これ以上思考するのは良く無い、
三成は其処で祖父に対しての思考を打ち切ろうとした。
何かがこれ以上思考してはならないと告げる。
今迄その本能の危険信号に三成は従ってきた。
その通りに思考を打ち切ろうとした瞬間、
カタ、と祖父が椅子から立ち上がった。
テラスの窓も開けるらしい。
風の通りをもっと良くしたいのだろう、
そのままテラスへ出たらしい曹丕を三成は見詰めた。

曹丕は月を眺めているらしい。
その姿に三成は、はっとする。
目を奪われる。
まるで妖の類か、と目を疑うほど曹丕は綺麗だ。
そう思えば、す、と三成は胸の内にあった痞えが取れる気がした。
そして悟る。何故こうも自分は祖父が苦手なのか。
( いっそ妖しの類であればよかったのだ )
至った答えは如何にも俗っぽくて吐き気がした。

自分はあの美しさに幼い頃より心奪われていたのだ。

( なんと浅ましい )

曹丕が三成に振りかえる。

( 吐き気がする )

艶やかに哂う男が祖父でなければ、三成は押し倒していただろう。
月明かりの元で哂うそれは妖か幻か、
三成は立ち上がり、勢いよく扉を閉めた。

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