14:主人

曹丕は沢山の者達の主であった。
絶対の主として君臨していた。
誰もが曹丕に頭を垂れる。
その様子を見つめる曹丕の眼はいつも冷たかった。

曹丕の無茶な要求に家人はただ従う。
しかし眼は誤魔化せない。不平不満を含ませた眼だけが
真実だ、と曹丕は思う。
結局誰も曹丕のことなどどうでもいいのだ、と曹丕は悟った。
そうしてただ心を冷えさせ、曹丕は屋敷で古書と暮らした。
しかしその生活も長くは続かない。
親の遺産で投資を続けていた会社が潰れ、その煽りを受けて、
曹丕の資産の殆どが失われた。
家人達は逃げるように曹丕の元を去り、
残ったのはがらん、とした屋敷と曹丕だけだった。

「誰も残るまいか」
当然だ、曹丕の振舞いを思い返せば誰が残ろうか、
曹丕は笑いだしたくなった。
しかし、廊下でカタン、と音がするので曹丕は
胡乱気にのろのろとその扉を開いた。

「・・・石田・・・三成・・・」
「なんだ?何か用か?」
石田三成は数年前から雇っていた家人だ。
曹丕の無茶な要求をいつも鼻で哂うかのように、
一瞬睨んで、黙って他の家人達と同じようにただ従っていた男だ。
「此処に残っても何も無いぞ、金目のものは皆家人共に持って行かれた」
今迄の腹いせなのか、それとも退職金とでも称したのか、
大勢いた家人達がこぞって家を荒らすように何もかも持っていった。
「屋敷はかろうじて残ったが、もう何も無い」
曹丕がそう云えば、三成は廊下に散らばった、布の切れ端や、皿の欠片を
丁寧に拾い集めてバケツに入れた。
「お前も早く出て行くがいい」
三成は黙って荒れた廊下を片付ける。
枯れた花を拾い、床を拭く。
曹丕が言葉を失って立ち尽くしている間に三成は廊下を綺麗にし、
立ち上がった。

「何故だ?ここにはまだ残っている」
三成と正面で眼があった。
その眼から曹丕は三成の真意が測れない。
まっすぐ三成は曹丕を見つめ、云った。

「此処にはまだお前が残っている」

そう云って三成は背を向け、階下を片付けに降りた。
曹丕は茫然と三成の背を見送り、
そして笑った。
「なんだ・・・」
溢れるものがある。
何も無かった自分に溢れるものがある。
「これが涙か・・・」

その日から曹丕と三成は屋敷を片付け、
残った僅かな資金で、会社を立て直すことに尽力した。
その後に再興し、再び、以前のような生活が送れるようになった今、
「三成」
「心得ている」
三成はカップに紅茶を注ぎ、曹丕に手渡した。
三成は今も曹丕の傍で仕えている。
曹丕はその紅茶をゆっくり啜り、
「美味いな」と微笑んだ。
当然だ、と不遜に返した三成に聲をあげて互いに笑う。
「何故あの時残った?」
そんな疑問を曹丕が口にした。
よもや同情であろうかと思うが、三成という男を推し量るにそれでは
説得力に欠けた。
三成はそんなことか、と笑い、曹丕に答える。
「俺はお前に仕えると決めていた、二十四を過ぎてそれなりの地位に就けなければ
諦めたがな、あの時はまだ二十二だった」
「成る程、では私が成功しなければお前は俺を見限ったのか」
揶揄するように云えば三成は確信したように人の悪い笑みを浮かべた。
「しかしお前は成功したではないか、二年も経たぬうちに」
この俺が付いているのだから当然だと三成は自信たっぷりに笑う。
その様子に曹丕は満たされる。
そして想う。
手にしたものは何とも得難い幸福になった。
傍らの存在は強く優しく曹丕を支える人になったのだから、

「それは・・・何とも光栄なことだ」

三成はこれから先も曹丕の傍にあり続けるのだろう、
穏やかに、当たり前に、もたらされる日常に曹丕は感慨深く微笑んだ。

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