17:上司/部下

「資料は揃ったか」
云われて振り返れば上司だ。
三成は手元にあったファイルを取り出し、無言で上司に差し出した。
上司は長い指でそれを捲り(それが優雅にすら見えるのは錯覚だと
思うことにした)得心した様子で三成を見た。
「・・・成る程、十五分後に会議をする。必要員を揃えて出席させろ」
そのまま云い残して奥のデスクへと続く扉は閉じられた。
三成は溜息を吐いてからすっかり冷めた珈琲を一口すする。
目頭を指の腹で軽く押さえてから担当部署へ召集の連絡をした。

「全く人使いの荒い・・・」
上司は優秀な男だ。
三成自身も自分が優秀であると自負しているが、
上司のそれは一介の部長職では収まらない器であると思う。
しかし人使いが荒い上に人付き合いをあまりしない男であった。
部署内での上司の評価はその為か低い。
眉目秀麗とはよく云ったものだ。無駄に整った顔なだけに
無理難題を平気で云う様が実に合っている。
それを憎らしげに三成は見つめ鼻を鳴らすのが常であった。
上司の名を曹丕、と云う。
「だいたいあいつは人の苦労を苦労と思っていないのだ」
大抵のことはすんなりこなす三成でさえ愚痴りたくなる程の
鬼上司である。
三成でさえそれなのだから時折部長室から捲くし立てる怒号と
その数分後に泣きながら出てくる社員の姿など常であった。

「部長、先程の訂正箇所を・・・」
重い空気の会議を終えて、もう就業時刻もとっくに過ぎている。
三成はこれを提出したら帰ろうと部屋をノックして入った。
返事が無いので、デスクを覗いてみれば、
鬼の上司が眠っている。
( これは・・・ )
「なんと珍しい・・・」
普段のしかめっ面のままに眉を寄せて眠る様は何とも滑稽だが、
常よりは愛嬌があった。なまじ顔が綺麗なだけに眼福と云ってもいい。
曹丕のこんな姿が見れるなど、明日は雨か、嵐か、槍が降るか。
疲労しているのだろうか、少し浅く呼吸する様が
三成を何とも云い難い気持ちにさせた。
薄く開いた唇がなんとも艶めかしい。

( これは出来心だ )
不意に手を伸ばす。
起きれば可愛気など全く無いが眠っている姿は何処か優しい気持ちになる。
あやすように頬に触れれば、曹丕の眼尻が僅かに揺らいだ。
その薄い色の眼が開く前に三成は曹丕に口付けた。

「っ・・・!」
曹丕の眼が開く、
状況を把握できていないのか慌てた様子で身を捩った。
そうなるといよいよ面白くなってきた。
そんな曹丕に煽られるように三成は口付けを深くする。
曹丕の抵抗は激しくなるものの、三成は上から抑える形で
曹丕の口内を嬲るように舌を絡める。
は、は、と息が唾液と共に漏れる。
そのまま唇を離し難く、つ、と舌で歯の裏の肉を舐めれば、
曹丕の力は徐々に抜けていく。
時折びく、と身体を揺らし、ついに曹丕が目を閉じて、
抵抗が失せたところで漸く解放した。
互いに零れた唾液を拭い終わったところで曹丕に突き飛ばされた。

「・・・何の真似だ」
「出来心だ」
常に無い感情を露わにする様に三成はぞくり、とする。
曹丕は三成の返事に一瞬目を見開いてから、ゆっくりと細めた。
そしていつもの無表情に戻る。
「もういい、帰れ」
それを云われた時に三成は鈍器で殴られたように頭がぐらぐらした。
「無かったことになど・・・」
曹丕は三成とのことを無かったことにしようとしている。
それが三成には許せなかった。
曹丕の腕を掴み引き寄せる。
思ったより強く引っ張ったのか曹丕の身体が三成の腕に納まった。
「何を・・・」
暴れようとする曹丕を胸の内に閉じ込める。
無表情な曹丕が感情を表に出す様が心地良い。
三成はぞくぞくする感覚のままに再び曹丕の唇を貪った。

やめよ、と聲がする。
しかし三成は止まらない。
それを悟ったのか諦めたように目を閉じる様がたまらない。
「曹丕、」
名を呼ぶ、曹丕は浅く、もう一度「やめよ、」と呟いた。
しかしその腕は三成に縋っている。
曹丕の薄っぺらい矜持が三成は愛しい。
三成は抜き挿ししていた指を引き抜き己を宛がった。
「俺のものになれ、曹丕」
噫、と洩れる曹丕の吐息が厭らしい、
引き攣るほど痙攣する太腿が猥らだ。
苦しい息を吐きながら曹丕が微かに頷いたのを三成は確かに見た。

互いにそれが恋だと知ったのは随分あとの事だった。
昼下がり、遅めのランチに誘い話す。
思えば散々な始まりだったと漏らす曹丕の顔は相変わらずだった。
しかし三成はそれが愛しい。
「だが、俺が好いのだろう?」
悪戯に問えば、曹丕の顔は益々渋面して、アイスティーを
さしたストロー毎、反対を向いた。
幼く拗ねてみせる様がいじらしいと三成は笑う。

「仕事では上司と部下だが、それ以外ではお前は俺のものなのだからな」
わかっている、と小さく発せられた言葉が何よりも愛しい。

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