05:寝顔
※孫権+三丕

おや、と思った。
通り過ぎようとしたが、ぴたりと足が床に
張り付いて仕舞っている。
錯覚かと思い、もう一度覗いてみたが、
どうもその人であるらしかった。
孫権は持っていた書簡を抱え直し、
少し近付いて覗いてみる。
出来心という奴だ。
青い目でよくよく覗いてみても間違いない、
その人だった。
此処はどちらかと云うと魏の占有領域であったが、
呉とて、互いに遠呂智の傘下に入っている以上、
通ることがある。
故にこういったこともしばしばあるわけだが、
それにしても今、目の前に広がっている光景は
大層珍しかった。
( 曹丕・・・ )
魏の王子である曹子桓だ。
冷酷にして卑劣、しばしばそう謳われる男であったが、
容姿だけはずば抜けて美しい。
遭えば酷い睨みあいの応酬であったので、
こうして対峙するのは初めてと云ってもよかった。
というのも曹丕は孫権の前で健やかに眠っているからだ。
眼をあければあの薄い冷たい氷のような眼で、
孫権を見下すのであろうが、今は穏やかに閉じられている。
まじまじと見つめれば確かに美しかった。
今までもこうして、戦場で、軍議で、何度か
顔を合わしているが、これほどはっきり顔を見たのは
初めてかもしれない。
魏が遠呂智と同盟(服従に近い形で、だ)を結び、
売国奴と罵られながらもかろうじてその体裁を保っているのは
一見非情とも見れる曹丕のやり方の結果である。
体裁も自尊心も簡単に投げ捨て遠呂智に服従する様はいっそ
清々しいほどであるが、そのやり方は結果的によかったのであれ、
孫権には到底承服できない方法だった。
反して呉の自分達は父を人質に取られ、どうにも動けない、
これも情けない話ではあるが、境遇が同じとは云え、
魏と呉、矢張り互いに相容れない。

( 遠呂智が寝所に呼ぶというのもあながち嘘ではあるまい )
噂の真偽は知らないが、
そんな下卑た噂が立っているのも事実であった。
孫権もその噂を聴いた時は、身体で同盟を結んだか、と
鼻で哂ったものだが、目の前の麗人の様子を見ると、
酷く疲れているようで、脆いような危うさが見える。
いざ目の当たりにすると、そんな下卑た噂など、一蹴したくなった。
( 危ういな )
何が危ういのか、曹丕の今にも崩れそうな身体か、それとも
それに呑まれそうな自分か、どちらかなど孫権にはわからない、
しかし直観的に良くない、と本能が告げる。
目の前の男に手を出す危険は重々わかっている。
けれども、触れずにおれない、
そんな誘惑に孫権は抗おうとした。
これが兄ならばあっさり手をつけそうだが、
孫権は兄とは違う。
違うのだ、と、兄には失礼なことを考えて己を諌めた。

不意に背後に人の気配を感じて振り返る。
「確か・・・石田・・・」
「石田三成だ」
三成は心得た様子で、曹丕の傍へ近寄り、
手にした掛布を掛けた。
「すまぬ、何か用か?」
「ああ、いや、魏の詰め所に用があったのだが・・・」
「ならば俺が預かろう」
三成は妲己が宛がった曹丕の監視役と聴くが、
軍師的なことも請け負っているらしい。
間違いはなかろう、と三成に手にした書簡を預けた。

「珍しいだろう」
「え、ああ、いや・・・」
曹丕のことだ。
この男が人前で眠るなど想像もできなかった。
三成はそっと曹丕の頬に触れる。
壊れものでも扱うような丁寧な仕草だ。
孫権が触れられなかったものにあっさり触れた。
驚いて曹丕が起きやしないかと孫権は内心肝を冷やす。
しかし曹丕は穏やかなもので、すうすうと寝息を立てていた。
「ここのところ激務でな、参っているようだ」
「いや・・・気にしなくていい、こちらこそ失礼した」
では、と孫権はその場を去る。

そして背中越しに三成と曹丕の気配を感じる。
酷く静かな空間で、穏やかに眠る王子と見守る三成、
その絆を想い、それが悔しいと少しだけ思った。

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