11:チッス(kiss)
※悟丕

気付いた時にはもう籠の中だ。
聴こえはいいが、自分が入れられていては
まるで笑えない。
( しくじったか )
珍しく曹丕は苛立ちを露わにした。
木枠で囲まれた輸送用の簡易的な檻では
あったが、武器も何も無いこの様では
破ることは出来ないだろう。
遠くの方で金属が触れあう音がすることから、
遠呂智軍と何者かが交戦しているらしい。
( 頼みの綱はそれか )
自軍であれば救出して呉れるだろうが、
他の呉や蜀、まして三成が居るような異邦人の
軍であれば厄介である。
助けられたものの、そのまま人質にされる
恐れもあった。
仮にも曹丕は魏の王子である。
曹丕が望むにしろ望まないにしろ、
政治的駆け引きの価値が見出される。
しかしそれを曹丕は良しとはしない。
父の負担に、まして自分の所為でこのような
事態になったのだから、こうなってくると、
曹丕自身の立場が危うい。
( 人質はなんとしても避けねばならん )
どうせ今の状態も人質ではあったが、
もし自軍でなければ、捕えたものが変わるだけで
曹丕の立場は好転しては呉れないだろう。
なんとか、兎に角この無様な状態から脱して、
そこから逃げおおせる策を考えなければならない。
やりきれないように、曹丕は端に背を凭れ、外の様子を
見遣った。
徐々に敵(曹丕にとっては味方であることを願いたい)
が近付いてきているのか辺りは騒然としてきた。
檻の周りを無数の妖魔共が囲う異様な光景である。
部隊を指示している妖魔が、少しの動揺を見せた後に
僅かな兵を残して食い止めに向かった。
のろのろと馬で運ばれるが、今こそ絶好の機会と云える。

「いい様だねぇ」
不意に檻の外から聲が降る。
「何用か、猿」
孫悟空と云ったか、と目を向ければ、
にやついた笑みを隠そうともしない妖魔の男であった。
「いや、あんたがこうして檻の中に居るってのは
いい気分だな」
檻の柵に手をかけ、顔を近づけてくる。
「あんた莫迦みたいに綺麗だな」
「莫迦にしているのか」
冗談でも頂けない、侮辱と捕えた曹丕は、
氷の視線で猿を射抜いた。
おっと、と悟空は呟き、「いいねぇ」と再び何事か
頷く、その様子を眼の端で捕え、何事か言おと
したが結局曹丕は猿の存在を無視することに決めた。
しかし放っておくことなど悟空がする筈も無い。
「あんたを喰うってことを考えたんだ」
俺は、なんでも食べないと気が済まない性質でね、と
猿が云う。得意気な顔の悟空を曹丕は切り捨てたいが、
武器がなくてはどうにもならない。
沈黙を貫いた。
「あんたの綺麗な身体を犯しながら、肉を抉る、
ゆっくり丁寧に舐めつくして、絶頂を極めたその時に
内臓を引きずり出して、食べるのさ」
悪趣味な妄想にとうとう曹丕が口を開いた。
「死ね、でなければ去ね、」
「その綺麗な顔には傷一つ付けずにね」
「下衆が」
矢張り妖魔、この獣め、と曹丕は一蹴する。
それを満足気に悟空が見つめて、
両の手を檻の木枠に縋るようにかけた。

「でも、今いち現実のあんたと結びつかない」
おや、と曹丕は顔を顰めた。
このままそんな話を延々と聴かされるのは
頂けないが、それにしたって様子が妙である。
「此処から出たいかい?」
「当然だ」
私が好きで此処に居るように貴様は見えるのか、と
返せば、悟空は笑った。
「出してやろうか」
戯れに紡がれる言葉にいよいよ雲行きがおかしな方向へ
と進んでいる。訝し気に曹丕は悟空を見たが、
悟空はにやりと人の悪い笑みを浮かべるだけだった。
「ご褒美を呉れるなら出してやってもいいぜ」
「ほう、お前が、私を此処から出すというのか」
裏切りである。少なくとも、悟空にとってあまり良い結果にはならない。
しかし悟空は肩を竦め、まあね、と曖昧に言葉を返した。
「どうせこの戦いはこっちが負けるし、あんたを
誰かに奪還されるのも見えている。このままあんたを此処で
眺めているのもいい、もしくはこのまま俺だけがあんたを掻っ攫って
逃げるってことも考えた」
「ほう」
「でもどれもあまり上手くいきそうに無い気がする」
俺の勘は当たるんでね、と悟空が笑う。
「それで考えた、まずあんたを此処から出してあんたが
どうするのかを見るっていうのが俺の中で一番面白そうな気がする」
「では出せ」
その言葉に悟空はいよいよ口端を歪める。
「ただじゃね、俺様もちょっと具合が悪いわけだし」
ならば、と曹丕は呟き、檻の中から手を出し、
悟空の頭を引き寄せる。
唇すれすれの近い位置で、囁いた。

「ならば、お前の望む場所に口付けを赦す」
悟空はにやりと笑い、いいね、と呟いた。
もう一度「いいね」と笑ってから、辺りの護衛として
残された兵の首を刎ねる。
そして檻の前へ引き返し、その剛腕で木枠の籠を壊した。

「さて、あんたはこれで自由の身だ」
どうぞ、お姫様、と差し出された手を、曹丕は容赦無く叩く、
「礼は礼だ、さっさとしろ」
曹丕が急かすので、悟空は一瞬考える。
このままこの唇を貪って、或いはそのまま力まかせに押し倒して、
この麗人を思うまま貪ってみる、しかし、
悟空は戸惑った。
違うのだ、と自分がこの男を気に掛けるのはもっと別の欲情なのだと
確信する。
無防備にさらけだされた肢体に引き寄せられるように
近付く、触れれば折れそうな脆い人間の身体だ。
脆弱で、他愛も無い存在にしか過ぎない。
しかしそれが時にこんな奇跡のように美しく冷たいものを
魅せる。
ごくりと喉を鳴らし、悟空は曹丕の頬に触れた。
さらさらとした髪が指に触れる。
そのまま、そっと口付けた。

直後、無数の矢が放たれる。
反射的に曹丕を抱え悟空は空を反転した。
とん、とゆっくり着地し、酷く優しい動作で
抱えた曹丕を丁寧に降ろす、そして「じゃあな」と消えた。
その様をやや放心したように見つめ、
背後からの見知った聲にようやく曹丕が振り返る。
「曹丕!無事か!?」
茫然としたまま、曹丕は「噫」と呟いた。
「どうした!?何かされたのか?」
徐々に意識を浮上させ、曹丕は一瞬目を見開き
そして伏せる。
「いや・・・」
「あの妖魔は・・・!」
「否、問題無い、少し口付けられただけだ」
「はぁ!?」
美形が台無しになるような顔をして問いただす三成に
曹丕は笑みを魅せ、空を見る。
「何処だ!?何処に!?」
信じられん!?と激昂する三成に曹丕は意味深に笑い、
「教えてはやらぬ」
と笑った。

だって、まさか、あんなところに、
流石の曹丕も予想外だ。
曹丕の知っている口付けは皆生々しく、激しい何かで、
なのに、あの獣が、
( まさか )
恐ろしく清い気持ちになるのはどうしてか、
妙なものに懐かれた、と曹丕は尚も問いただす三成を
揶揄い半分にあしらいつつ歩みを進めた。


チッスは眼にして


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