15:瞼
※三丕前提信長丕

ゆるゆると微かに慄える瞼がなんとも
云えない色気を魅せる。
月を眺めながら、時折杯を口に運ぶ。
杯を傾けながら信長はその様に魅入っていた。
幾度と無く酒宴に、交渉の場にと誘ってきたが
その都度邪魔が入るので(大抵は三成であった)
目をつけてから未だ手を出してはいない。
寸でのところで逃すのだ。
しかしそれを何処か愉しんでいる風でもあった。
もしくは、と信長は思考する。
( 此処で止めておいた方がいいのやもしれぬ )
本気になったらあらゆる手段を使ってでも
やるのが信長だ。
しかし、その手段を用いて目の前の男を力で
我がものにしても何も得られぬのかもしれないと
思う。これは信長の勘であった。
この男を落とすのはそんな強引な方法では無理なのだ。
多少の強引さは必要だろう。現に逢うのですら
この難儀なのだから、しかし信長の全ての力を
使ってはいけなかった。
囲って仕舞えば、この男の価値は失われよう。
曹丕という男はそう思わせる男であった。
( 支配者が変わっただけでそれでは何も得られぬ )
この男の真の支配者はあの男だ。
古の大国を統べる男ただ一人、
その男だけが曹丕の全てを思いのままにできる。
三成でさえ、それに従おうとする曹丕を止めることは
できないだろう。
しかしそれ故にこの二人の親子の関係には
深い溝がある。埋められない溝のまま、
支配し、支配される。
それが酷く滑稽に思えて、信長は再び杯を仰いだ。

「今宵は三成が来ぬのだろう、信長よ」
曹丕の言葉に信長は笑みを浮かべた。
それを肯定と取り、曹丕は薄い色の瞳を信長に向ける。
「三成を遠征に出したな」
いよいよ信長は愉しげに肩を揺らし、曹丕を肴に
杯を上げる。
「その通りよ、奴を少し飛ばした、何直ぐ戻る」
「朝には、な」
間髪入れず切り返す曹丕の賢さに信長は眼を細める。
「厭なら応じねばよかろう、予とて奸雄の子に無理は申さぬ」
「だろうな」
「ならば近う寄れ」
曹丕が身体を信長に向ける前に強い力で引き寄せる。
「うぬが自ら来たのではないか」
首筋に鼻を埋めると曹丕が、鼻を鳴らした。
それを無視して、信長が曹丕の衣に手を掛け
上着を剥ぎ取る。
開いた隙間から指を入れ、その白い肌の感触を
愉しんだ。
曹丕はされるままに信長に身を任せる。
その様に煽られ、信長は曹丕を組み敷いた。

「私が欲しいか」
曹丕は信長を見上げ云う。
薄い瞳に青白い肌、絹の髪に明晰な頭脳、
父という男に縛られ生きるこの哀れで脆い、
美しい細工のような者、
( この男、欲しい )
欲しいのだと、確信する。
戯れるように曹丕の身体を弄り、
そっと耳元で囁く、
「予ならうぬを呪縛から解放してくれよう」
「ほう」
興味深そうに曹丕が眼を細めた。
「父親という呪縛から、の」
途端に曹丕の身体が強張りその腕から逃れようと
するが、それよりもずっと強い力で信長は
曹丕を抑えつけた。
逃れられないと悟ると曹丕は全身の力を抜く、
それが曹丕の本質である。
敵わぬものには抗わない、しかし油断すると
寝首をかかれる、そんな男だ。
その狡猾とも云える頭の良さを信長は気に入っている。
鑑賞に値する容姿も、決められたものに足掻こうと懸命に
足を動かすその愚かさも、何もかも、
全てはお前のものだと云わんばかりに己を曝け出す曹丕がたまらない。
「どうだ」と促すと曹丕は真っ直ぐに信長を見た。

「お前には無理だ」
「予ならお前の影の部分も全て受け入れられる」
三成には決して見せぬその薄暗い汚さも、
そう言葉を続けると曹丕は眼を閉じた。
そしてくつくつ笑い出す。
「かもしれぬ」
「かもしれぬな、だが、信長よ」
薄い色の眼の美しさに信長は止まる。
曹丕は腕を伸ばし信長を抱き寄せた。
思いもしない行動に信長は眼を瞠った。
形の良い唇が詩のように美しい聲を奏でる。

「私は信長という私の友人をこのような形で失うのか」
その言葉に信長は一瞬時を忘れ、
それから、くく、と笑い聲を上げた。
「友人、そうか、友人か、」
友人などと云う言葉でかわされるなど
まさかの解答であった。
流石に信長も虚を突かれる。
「く、く、良い、良いぞ、曹子桓」
力で曹丕を奪うより、この方がずっと良い、
だからこの男との遣り取りは止められない。
「しかし、予はますますお前が欲しくなった」
欲しい、と思う、もしこの男が誰のものでも無くなったら
信長は迷いも無く囲うだろう、それがこの男の価値を
損なうことになっても、全力で奪い蹂躙し尽くすだろう、
けれども今はこの寸でのところでの遣り取りを愉しみたい。

「ならば『友人』らしく予は友と酒を飲もうぞ」
曹丕の杯に信長は己の杯を当て、飲み干す。
酷く美味い酒だった。
何、目の前には賢き麗人、浮かぶ月に、
紡がれる詩、その心地良さに信長は喉を鳴らし、
杯を傾けた。

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