18:赤面

陽も落ちて随分経つ。
野営の準備を早い時間からやっていたお蔭か、
早くから近くの森で狩が出来た。
その成果だろう辺りには肉の焼ける
香ばしい匂いが漂っている。
曹丕はそのまま陣の配置を一通り確認し、
仮に設けられた天幕の中で兵の様子を音に聴いた。
しかし幾許も経たぬ内に入口の幕が上げられる。
「此処だったか」
どうやら曹丕の居所を探していたらしい。
仮にもそれなりの数の軍行である。
指揮官たる曹丕の場所は絞られようとも
流石にもう寝所の方へ移動したとは思っていなかったらしい。
三成はそっと灯りを机に置き、曹丕の傍へと寄った。

「何用だ」
曹丕はそんな三成に目も呉れずに旅程を確認する。
父の本隊に合流するまでにはまだ数日あった。
戦場の音はまだ聴こえない。
三成は置かれた簡易机の上に、皿を置いた。
「お前のことだ、まだ食べてないだろう」
焚きだしの兵が用意したのだろう、
焼きたての肉が香草に包まれて皿に乗っている。
「いつ食えなくなるとも限らん、食っておけ」
さほど食べるとは云えない曹丕の食の細さを気にしてなのだろうか、
三成の気遣いに曹丕は、く、と口端を歪ませた。
「余計な世話だ」
いつもと変わらぬそっけない曹丕の態度はもう
慣れたもので、これはこの男なりの礼なのだと
三成は理解している。
「全く、俺以上に素直では無い奴だ」
「煩い」
そんなことお前には関係無い、と曹丕が云えば
三成が無言で曹丕に近付いた。
そのまま腕を取られる。
「何を・・・」
避けようとしたが間に合わない。
三成に思ったより強い力で引き寄せられた。

「離せ」
曹丕が三成を睨みつけるが
それを意に介さぬ風に三成は曹丕を見つめる。
「何だというのだ、この馬鹿力が、」
もがこうにもビクともしない。
「俺はお前が心配だ」
「何を・・・莫迦なことを・・・」
せめてもの抵抗に一笑すれば三成は
辛そうに顔を顰める。
思えば三成とはよくこうしたやり取りがあった。
常の曹丕の態度によく飽きもせずこうも毎回
こんなことが出来るものだと最近では感心すらしている。
「心配なのだよ、万一お前が襲われたり、怪我をしたり、
それを想像すると肝が冷える」
そういった言葉を云うのはもうやめて欲しい。
云われる度に曹丕の中で孤独に保ってきた何かが
崩れそうになる。

(違う、)
(このままではいけないのだ)
そう云い聞かせる。
目の前の男は未来永劫自分の物では無いのだ。
いつか離れるものに心など許してなるものか、
(辛いのは私では無いか・・・)
いっそお前は私に酷いことを云っているのだと云って
やりたいがどうしてもそれを曹丕が口にすることは出来無い。
(出来もしない戯言ばかり)
それを云うこの男が憎くすらある。
「離せ」
「お前はいつになったら俺に心を許す」
「身体は容易く許す癖に、か」
自嘲気味に曹丕が云えば三成は一層眉に皺を寄せた。
そしてそのまま曹丕を抱き締め、三成は
背中を撫でる。

「傍に居る」
「出来もしないことを云う」
「傍に居るさ、」
ずっと、いつまでもずっと、
そんな睦言に曹丕は溶けそうになる自分を
押さえつける。
「お前は出来もしないことばかり」
「いつまでも傍に居る」

(噫、)
瞬間、曹丕の孤独は崩れおちる。
(お前は莫迦だ、)
あからさまに、こんなにもあからさまに
真っ直ぐな想いをぶつけられる。
三成をどうしても突き離せない。
何故、この男だけが、この男の言葉だけが
心に響くのか、どうしてお前だけが、と
曹丕は叫びたくなる。
しかし取られた指から手から、じわじわと
伝わる温度に今度こそ曹丕は眼を伏せ
顔を逸らした。
「好きにすればいい」
今振り向いたらきっと顔を見られて仕舞う。
それだけは出来なかった。

「お前はいつも出来もしないことを云う」

それでもその手が離せないのは
自分なのだ。

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