013:頭脳
※パラレル近未来

その空間は三成お気に入りのチャットルームだった。
あまりそういった電子関係には昨今の若者(一応未だ20代前半なのだから
若者のカテゴリーで差し支えないだろう)にしては珍しく三成はそういった分野に
興味が無く、どちらかというと古書に埋もれている方が性に合っている。
既に紙媒体の書物が少なくなった今、僅かにそういったものを
取り扱う店舗を求めて地方を歩いたりするのが習慣になっていて、
仕事で電子系を一通りは扱うもののそれでも最新版を自在に
扱うというにはほど遠い。
つまり電脳オンチであった。
左近にすら「殿はそういった類は苦手ですからね」と云われるほどであるから
これはもう筋金入りである。
しかし、三成はここ一月ほどひとつの部屋に出入りしている。
今時珍しく古書界隈の情報が流通している数少ない部屋で、
どうしても欲しい本があるので探していたら行き着いたのが其処だったというわけだ。
と云っても実際のところ、そのチャットルームの利用者は少なく、
ログを見てもさして頻繁に更新されているわけでもない。
常連と思しき人間が2、3人ほど、という程度で、
今日は平日というのもあって、入ってみれば
中の人間は自分と常連のひとり、の二人だけだった。
Sという短いハンドルネームの(恐らく男であると推測する)男は
三成が探していた古書を的確に見付けてくれた人物で
比較的話しやすい。
気をよくして、話しかければ直ぐに返事があった。
「先日の本は入手できた。状態も良く非常に読み応えがあった」と
話せばSも「それは良かった」と言葉を返す。
短く言葉を切るのがSの癖であるが、
自分も比較的そういった傾向が強いので、素っ気ないという
わけではなく他意は無いのだと推測する。
「それで今度はこの本を探しているんだが」
心当たりは無いか?とリンクを貼りつけて問うてみる。
一度調べたがこれも入手は難しそうであった。
個人の著書であり、尚且つ数も少ない、
それにもう50年以上前の本だ。
しかし矢張り気に成った。
図書館などもあたってみたが当然無い。
それに今時図書館でも紙媒体の本など扱っているところは
少なかった。図書館という名の電子データベースという表現の方が
きっと正しい。

少しの沈黙があった。
検索をかけているのだろうか。
今日はアバターを使用していないので文字のみだ。
音声すらオフにしているので旧世代のチャットのようだ。
けれどもこの無機質でレトロな感じをSは好む。
だから大抵、人数が居るチャットでもSは文字のみのことが多い。
(人の数が多いと、と云っても5、6人程度だ。サウンドのみの使用に
切り替えるらしかった)
そういったところが三成には好感が持てた。
暫くの沈黙の後に意外な回答があった。
「私の家の蔵書にある」
「Sの?」
「蔵にな、」
蔵というからにはSの家は旧い家柄なのだろうか、
今時蔵を所有するなど、余程の金持ちか特権階級に違いない。
「著者が縁故でな、譲ることは出来ぬが貸すことなら出来る」
そう云われて思わず「是非」と即答してしまった。
早い三成の回答にSは少し笑ったようだった(そう感じさせる沈黙だった)
「では送ろうか?」
流石にそれは悪い気もする。
だいたい本一冊の為に休みを利用しては全国を歩き回るのが
ライフワークと化している三成だ。
「いや、それには及ばない、読ませてもらうだけだし、
家・・・は流石に迷惑だろうから、最寄の場所を指示してもらえれば
其処まで取りに行かせて貰えないだろうか?」
流石にお互い本名も素性も知らないのだ。
行き成り送ってもらったりするのは気が退けた。
「済まないがこちらに切り替えれるか?」
前振りもなくアドレスを表示され、
飛ぶと其処はSの個人サーバーらしかった。
成程ここなら個人的な情報を漏らしても外部から遮断されている。

「改めて初めまして、俺は三成だ」
「私は子桓だ」
さっぱりとしたシンプルな電脳空間は如何にもSらしい。
この空間は完全なSの個人空間なのだろう。
文字の表示から音声に切り替わっている。
未だ数度しか遣り取りはしていないがSという人物は思慮深く、
文学への知識も深いようだった。
「いつ頃がいいだろうか?」
「俺は空けられるから土日ならいつでも」
と返せば子桓は少し考えた様子で、
スケジューラーを起動させ(どうやら子桓は多忙な人物であるらしかった)
それから予定の調整を入れた後、
「再来週の土曜にこちらまで来れるだろうか?」と
地図を表示した。
「なんだ、凄く近い・・・」
子桓の指定した場所は三成の家から車を使っても一時間もかからない。
もっと遠いと勝手に想像しただけに些か拍子抜けした。
「近いのなら結構、昼食がてら書物について語ろうではないか」
その素晴らしい提案に三成は喜々として飛びつき、
そして今から二週間後の週末に胸をときめかせた。

そして来る二週間後、指定された場所は子桓の屋敷であり、
その広さに唖然としたまま通された部屋の先に居た子桓という
青年が経済界に名を馳せる名門曹家の跡取りの曹丕であるということを知った。
何よりその容姿の美しさに、低い声で朗々と語られる古い書物の話に
三成がのめり込むのは一瞬のことだった。

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