01:赤い鳥

その鳥の羽ばたきを聴いたのは何時のことだったか、
朧になった記憶を曹丕は辿る。
戦場で、人の死と血と、煙の坩堝の中で、
曹丕は茫然と死体の山に立ち尽くしていた。

( いつものことだ )
幼い頃から当たり前に視た景色だ。
自分もいつかこの群れに埋没するのかと、
漠然と子供心に思ったものだ。
敗北すれば自分に待つのはこの死体の群れに
埋没し消えて逝くだけなのだと、

手を見れば血濡れている。
それが返り血なのか、己が流した血なのかさえ曹丕には
わからなかった。

( 鳥の鳴き声が )
( とおくに聴こえる )

正気と狂気の堺で憔悴に呑まれたまま
徐々に近づいてくるその音が何だったのか曹丕は記憶を辿った。

( そうだ )
( たしかに聴いた )

この鳥の羽ばたきを、
何処か奇妙な啼き声を曹丕は聴いたことがある。
戦場で多くの死が渦巻く場所で、その鳥は決まって啼いた。
「あれは死の鳥なのやもしれぬ」
誰に呟くでも無く曹丕が呟いた。
死の鳥ならば自分を迎えに来たのだろうか、
ならばいっそ、
いっそこのままその坩堝に埋没してしまおうか、
身を投げるのも悪くない、
そうすれば、

「曹丕!」

遠くにあった騎影がはっきりと輪郭がわかるほどになって、
顔を上げれば三成だった。
「無事か?」
三成は馬を降り、曹丕の元へ駆け寄る。
「深いな、すぐ洗わなければ」
曹丕の腕をまくり、傷の確認をする三成を曹丕は茫然と見つめた。
「どうした?」
三成が曹丕の頬を軽く叩き、曹丕の顔に正気が戻ってくる。
「否・・・鳥が・・・」
三成の肩に凭れるように曹丕は息を吐いた。
「鳥?」
「赤い、鳥だ、」
切るように曹丕が云えば、三成はあたりを見渡した。
「鳥などおらぬよ、そら、腕を貸せ」
三成は曹丕の腕を取り、水筒の水を腕にかけた。
痛みで曹丕は顔を顰める。
我慢しろ、と小さく云われて、曹丕は呻きを堪えた。
手際良く三成は布を裂き、曹丕の腕に巻いていく。
「少し出血が酷いな、本陣で医師に診せるしかあるまい」
馬に乗れるか?と曹丕に手を差し出す三成が眩しい。
曹丕には三成がいつも眩しく見えた。

辺りを見回すと鳥などいない、
ただ、不毛な荒野に戦の痕ばかりで、
鳥など何処に居るものか、
或いは、あれは、

( 三成が来て消えたのか )
鳥の羽ばたきは聴こえない。
独り佇んでいた時はあれ程はっきり聴こえた羽音は
聴こえなかった。
曹丕の心中を察するように三成は馬を操りながらそっと呟いた。
「大丈夫だ」
その言葉に今度こそ曹丕は安堵する。
( あの鳥は行って仕舞ったよ )
その聲は三成なのか、幻聴のように優しく
誰かが囁いた。
曹丕はそれが三成だと確信する。
ならば、もう鳥はいないのだろう。
眼を閉じ、三成の温度を感じて意識が遠のいた。

けれども、あの暗闇の坩堝に目を向ければ、
あの鳥の気配を感じる気がする。
じくじくと傷の痛みに、地に臥せる死に、
あの赤い鳥が潜んでいる気がする。
背筋が、ぞ、として、振り返り目を開けようと一瞬思う。
が、三成の温度が曹丕を留まらせた。
しかし曹丕は確信にも似た心地に呑まれていく。
( 否、いる筈が無い )
けれども確かに遠くその奇妙な啼き聲が聴こえた気がした。

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