02:林檎と初恋
※パラレル/三丕前提←趙雲

その人の姿を見たのは大学の構内のことだった。
窓の外を眺めていた趙雲の眼に飛び込んで来たのは
長い髪を束ねたその人だった。
一瞬女性かと思う程長い髪は、綺麗に纏められていて、
それが風になびく様が美しい。
そのまま茫然と見ていれば、不意に振り返った。
その美しさに息を呑んだのは趙雲だ。
不思議な薄い色の眼をした、冷たい双眸の美人だった。
後に、その人が学内で噂の絶えない、曹子桓だと、
他人伝てに聴いて驚いたものだ。

兼ねてから曹丕は学内では有名人であり、
噂に事欠かない人物だったので、人となりは安易に
知れた。経済学部きっての秀才であり、数多の浮名を
流す麗人だと云うのが代表的だ。
自分には遠い話であったので、さしたる興味も無く、
その噂を聴き流していたものだが、見ると聴くとでは大違いだった。
( 美しいひとだった )
あのように綺麗な人間を趙雲は今まで見たことが無い。
曹丕はそういった意味でも浮名の多い人間であったので、
(どれも確証を得ないものであったし中傷的なものもあった)
誰かと付き合った、付き合わないということを聴く度に
趙雲の胸が痛んだ。

しかし実際誰かと一緒にいるような様子を趙雲は
一度も見たことが無い。
あくまで大学内で、ということが前提だったが、
曹丕の何処か近寄り難い冷たい美しさは
人を遠捲きにさせているように思う。
趙雲は曹丕とは学科が違うので、構内のごく限られた場所でしか
曹丕に遭うことが無かった。(勿論、知り合いでも何でも無いので、
此方は昼食時に、カフェでそっと見つめるというのが精一杯だ)
「おう、趙雲か?」
軽く声を掛けてきたのは、同じ学科の友人だ。
趙雲はいつもこの気さくな友人から曹丕についての噂を聴いている。
「お前も賭けないか?」
「何の話です?」
趙雲が、首を傾げると、友人は面白そうに、趙雲に紙を見せた。
紙には人の名前と、金額と、寄せられた名前がある。
「誰があの美人を落とすのか賭けてるのさ」
得意気に云うのでそれが誰を指しているのか趙雲にはすぐ分かった。
「不謹慎な」
思わず顔を顰めると、友人は笑って、そう云うと思った、と紙を片付けた。
「この際女でも男でも、誰があの美人を落とすのか見物だろう?」
それならばいっそ自分が、と立候補したくなるが、
趙雲にはどうしてもその一歩が踏み出せない。
何せ、こんなに胸が苦しいのは初めてのことだったから、
どんな顔をして曹丕の前に立てばいいのかさえ見当がつかなかった。
そんな趙雲を見て、友人は、がはは、と笑い、お前はそれでいいんだよ、
とまた笑うので、どう答えていいのか趙雲が考えあぐねている間に
チャイムが鳴った。

その帰りのことだ。
授業を全て終えて、長い大学の門へと続く道を、
少し散策も兼ねて歩いていた。
「あれは・・・」
趙雲の想い人、曹丕である。
曹丕はゆったりとした動作でベンチに座り本を開いていた。
あ、と思って立ち止まる。
その前を通り過ぎることを趙雲は躊躇した。
或る意味でこれは絶好のチャンスでは無いか、と思うが、
しかし何と声を掛ければいいのかわからない。
何か気の利いたことでも云えればいいが、そういった方面には
滅法弱いので、言葉が出てこない。
そうこう考えている内に、「曹丕」と呼ぶ聲が聴こえた。
趙雲が思わず顔を上げれば、亜麻色の髪の細身の男が曹丕に駆け寄った。
曹丕は、待ちかねていたように、本を閉じ、その男に誘われるままに立ちあがる。
同じ学科の人間だろうか、親しげな様子はただならぬ関係を示唆させて、
趙雲は打ちのめされた気がした。
後日、友人に、それが経済学部の双壁と云われている石田三成という男だと
教えられて、趙雲はがっくり項垂れる。

( あの時あのひとは )
そうだ、あの時、想い人は、
優しい顔で三成に微笑んだ。
( あんな顔・・・ )
見たことが無い。
常の冷たい美しさからは想像出来ないほど優しい笑みだった。
それだけで趙雲は打ちのめされる。
自分の想いとは裏腹に遠くに居る美しい想い人、
想えば胸は痛くなるばかり、
「まあ、失恋なんてそんなものさね、そう嘆きなさんな」
友人は笑い、実家から林檎が大量に送られて来たのだと、
趙雲の前に真赤な林檎を差し出した。
趙雲は溜息を吐き、その林檎を手に取りかぶり付く。

「酸っぱい」
微かな甘さと酸っぱさが、染みる。
それは今の趙雲の胸の内のようで、
何処か憂いを秘めたその林檎を趙雲は噛み締めた。

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