14:月のない夜に
※4懿丕

司馬懿は曹丕の髪を撫ぜた。
さらさらと長い髪が絡むことなく司馬懿の指から滑り落ちていく。
その感触が心地良くて先程からずっとその髪に指を通していた。
「仲達」
曹丕が傾けていた杯から視線を司馬懿へと向けた。
司馬懿は心得たように曹丕の杯へと酒を注いだ。
曹丕はただ黙って、杯を傾ける。
不意に口を開いた。

「直に決まろう」
何を指しているのかは流石に解る。
曹操の跡継問題のことだ。
曹丕は時折それを他人事のように云い放つことがあった。
司馬懿は、は、と微かに頷いた。
「誰に決まるのであろうな」
曹丕は如何にも愉しげだ。
酔いがまわったのだろうかと、この美しい主君の顔を
覗くが、さしてまわった様子も無く、たんにこの男の
自虐的な悪い癖が出ているらしい。
「貴方様が成って頂かねば困ります」
司馬懿は髪を撫ぜる。
曹丕は何も云わず司馬懿に抱かれる形で凭れた。
「案外、予想外かもしれぬぞ、父がどこぞで造った子が
成るやもしれぬ」
あの曹操ならばやりかねないと、否定できない面がある。
故に笑える冗談では無かった。
「私めがこれほど尽力を尽くしておりますのに、
そのような結果になれば無駄になりますな」
曹丕は、ふ、と哂い、(それは嘲りの哂いだ)
杯の酒を一気に煽った。
「尽力とな、随分綺麗事を云う」
工作の間違いであろう、と曹丕や云い放った。
「わたくしだけではありますまい」
「是、誰しもやることだ」
司馬懿は曹丕の髪に口付けた。
「貴方には何としてでも後継になって頂く」
「そして簒奪するか?」
まるで見通しているかのように云う曹丕に司馬懿はぞくぞくと
背に快感が奔った。
この男、
油断ならないこの男、
この美しい男こそが司馬懿の手綱を握っているのだと、
主君の顔をする。
その様が司馬懿は愛しくて仕方無い。
「わたくしは貴方を王に、否、それ以上にしてみせまする」
髪から頬へ指を伸ばし、その整った顔に唇を寄せた。
「この司馬仲達の全てをかけて」
触れ合った唇は恐ろしく冷たい。
この関係の温度のようで、それが可笑しくて司馬懿はその
唇を貪った。

「では、これを何とする」
曹丕が戯れの合間に懐から投げて寄越した
文書にざ、と目を通した。
何処で入手したのか、間者からの報告であるらしいそれは、
植派に不穏な動きあり、という報告であった。
司馬懿はにやりと哂い、それを吟味する。
「わたくしめに良い考えが御座いまする」
曹丕となだれ込むように寝台に登り、
身体を弄った。
「お聞かせしましょう、我が策を」
曹丕は哂い、目を伏せる。
臣下の礼を取るしかして無礼な男に哂う。

「貴様と悪い話をするには月の無い夜にかぎる」
「全く以て仰る通りに御座います」
悪魔の囁きは心地良く身体を満たす。
その策は曹丕の立場を堅固なものとするだろう。
いつか曹丕を引き摺り降ろすその日まで、
司馬懿は曹丕に尽くすのだろう。
それを想い、曹丕は哂う。
自分と男の愚かさに優雅に哂って魅せた。

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