16:静かな静かな、

まともな会話をしたのはその時が初めてだった。
低い静かな聲で語られるその仕草や、口調に
三成の心が揺れたのは抗いようのない真実だ。
曹丕、古の三国の時代、魏の王太子であった男、
遠呂智が異界で巡り合わせた男。
王たる曹操が不明の今、あらゆる臣が混乱する戦場の
中で、己の自尊心などまるで無いかのように遠呂智と
同盟を結んだ皇子。
それが魏という国の為に、一番損害の少ない方法で
あったというのは冷静になれば簡単に解ることだった。
しかし多くの臣は曹丕を売国奴と罵り、
また遠呂智の陣営も相応の蔑みの視線を投げる。
結局殆どのものが良しとせず、曹丕から離れたと聞く。
その様子にまるで動じた様子も無いこのうえなく高貴な
身の上の男はこれまで様々な人間を見てきた三成の中でも
最も特異であり、その気質もさることながら、
品の良さ、生まれついての貴人たるがなんなのかを
肌身に感じずにはおれないような曹子桓という人間を
鑑賞及び考察に値すると半ば感心しながら魅入っていた。

まず、容姿だ、こればかりは生まれついてのものになるが、
三成は別段他人に対しての美醜に拘りは無い。
周りに称賛されることは数多くあれど、本人にはどうでもいいことで
あって、さしたる関心も無かった。
しかし、この曹子桓という男、この男を見た時に感じたものは、
まさに三成の持論を覆すものだった。
何せ美しい、時代によって美醜は変わるというが、
曹丕のそれは別だ。黄金律とでも云うのか、顔の造りがまず
整いすぎている。その上、不思議な薄い色の瞳の取り合わせだ。
まるで天人の如き、と例えればいいのだろうか、
故に陣営では遠呂智が曹丕を所望しているなどと云う
下世話な噂も耳にした。
真実か否かなど興味は無いが、あながち外れでも無いのかもしれないと
目の前の美男を見て思う。
その癖酷く優秀な頭脳を持っているらしい皇子は、
的確に物事を測る。
合理的なのだ。
自尊心などというものより物事の効率と損害の少ない結果を
求めるいやに現実的な思考を持っている。
その思考が三成とも被るので、今のところ大した衝突は無かった。
妲己に曹丕の監視を、と云われたものの、この喰えない皇子は
淡々と己の策を進行しているのだろう。
三成にしても妲己や遠呂智に味方する義理は何処にも無い、
今のところ、曹丕の思考を追うところに興味があった。

「三成よ」
曹丕が顔を上げた。
長い指が地図の一点で止まる。
それを察して、簡単に、周辺の状況を記した紙を差し出した。
曹丕はそれを受け取り、長い指と筆を滑らせながら、
布陣を記していった。
「お前はどう見る」
ふ、と顔を上げた曹丕が三成を見た。
まともに目を合わせたのは初めてかもしれない。
策について問うているのだろう、
陣を察して、兵站の補充と補給拠点の
考察の余地ありということを云いながら、
その眼に魅入っていた。
口では策を紡ぎながら、心では曹丕に魅入っている。
何とも器用なことができることよ、と我ながら感心しながらも
三成は曹丕を見た。

「成る程」
曹丕は丁寧に地図をたたみ、そしてすっかり冷えた茶を一口飲んだ。
そして三成に身体を向けた。
「お前は優秀らしい、口で策を云いながら頭では別のことを思考する
器用さがあるようだ」
茶を注ごうとしていた三成の手が止まる。
「わかっていたか」
「当たり前だ、そんなに熱心に見られてはな」
慣れた様子で三成の視線を涼し気にかわし、
曹丕は口端を歪めた。
「何を考えていた」
曹丕の眼がこちらを向く。
射るような視線は何処か愉しげであった。

「お前の顔を見ていただけだ」
嘘は無い、見ていたのは事実だ。
多少、邪な考えがあったのは否めないが、それは伏せておく。
「して、私の顔になにか?」
一層揶揄うように曹丕が問う、
曹丕はあきらかにこの問答を楽しんでいる。
それが少し癪に触って、三成はどうしてやろうかと思考を巡らせる。
「無駄に美しいと思ったまでよ」
そう云えば一瞬、曹丕の眼が驚きで開かれた。
そして次の瞬間もう元の冷たい視線に戻っている。
曹丕は茶椀をゆっくりと揺らしてぽつりと呟いた。

「昔、お前と同じことを云った男が居たな」
くつくつと想い出すように曹丕が哂う。
その様子に三成は自分と誰かが重ねられているのだということに
屈辱を覚える。
「お前はそれをどう解くか」
興が乗ってきたらしい曹丕はますます愉しそうに哂った。
三成はいよいよ不快になる、何が不快か、説明は出来ない。
だが目の前の男が別の男の話をするのはどうにも赦し難い。
「では」
と三成が曹丕に近付き、
その長い指に己の手を重ね、
そして口付けた。
徐々に深くなる口付けに曹丕が喉を鳴らし合間に呟いた。

「成る程、顔に似合わず情熱的なようだ」
心地良さそうに目を細める曹丕の余裕を剥いでやりたい、
感情のままに曹丕を押し倒し、貪る。
「お前を暴いてやりたい」
と耳に囁けば、曹丕は三成の若さを哂い、
そして低い聲で麗人の言葉を紡ぐ、
「存外暴けば何のことは無いものなのやもしれぬぞ」
底には何も無いのやもしれぬと、哂う
曹丕の言葉に三成の心は冷える。
暗に曹丕はやめておけと云っているのだ。
三成に身体を開くことを責めぬくせ、
暴くな、と、
その様子にこの男の本質が見えた気がして
三成は男を抱きしめた。

「案外、残るものがあるかもしれん」
ほう、と曹丕が興味深そうに返事を返した。
「何が残るか、石田三成よ」
三成は其処でやっと身体を起こし、曹丕に笑って見せた。

「お前の知らぬ、胸の内がよ」
静かに、静かに、秘められた想いが始まる。
それが何なのか、曹丕は知らぬのだろう、
だが三成は知っている。
曹丕は三成に手を伸ばす、
ならば、と形の良い唇が動いた。

「ならばお前が示して見せろ」
麗人の言葉に三成は、是、と頷き、
そしてもう一度その唇に恭しく口付けた。
思えばそれが曹丕との始まりであったのだと、後に悟る。
それが恋だの愛だの、認めるには何とも癪だが、
恐らくそういった種類の感情であったのだ。
心を剥き出しにして、互いをぶつけ、
そして繋いだ身体は離れ難く、
離れ難く、
さぐるように寝台の上の相手を見れば、
静かな呼吸が聴こえた。
文字通り全力で曹丕に答えを示し、
曹丕はそれに応えたのだ。

「しかし厄介だ」
曹丕の長い髪を掬いながら呟く、
「お前相手では何とも障害の多いことよ」
夜は何事の憂いも無くただ更けていく。

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