18:しあわせクローバー
※パラレル近未来

その花がなんという花なのか曹丕は知らなかった。
ただ、窓にある花だ。
窓といっても窓の外にでも窓の内でも無い。
ただの窓の花だ。
立体映像のそれらは非常にリアルに見えたし、
風にも揺れる。時折花びらが舞い、
触れられるのではないかとさえ思うけれど
実際触れてみても何の感触も無い。
この手をすり抜けていくだけの花だ。
今時生の花など珍しくて、苦心すれば手にも入ろうが
そんなことまでして欲しいと思うものでも無い。
生の花どころか野生の花になるとコロニーを出て探さなければならない。
そんな自殺行為誰もしないだろう。
コロニーの外は日中五十度を超える灼熱である。
地表は今や人間の住める世界では無かった。
そんなわけで環境の劇的変化に、人類はコロニーの中に
新たな地球と国家を建設し、都市国家としての機能を果たしている。
曹丕達が生まれる二代ほど前からそうして繁栄を過ごしてきた。
あと百年経てば、地球規模でのテラホーミングが完了して
外でも昔のように過ごせるらしいという話だが、
どうせ百年後には自分は生きていまい、そんな話を聞かされても
ピンと来ない。しかし此処で生活する多くの人間は
その援けとなる仕事に従事し、生活をしている。
将来の世界の為の礎であった。
実際目にできない将来の何かに対して、多感な多くの
若者にしてみれば、正直どうでもいいことである。
しかし、それがこのコロニーで生きていくためには必要なことであるから
従事するだけのことであって、実際勉強していることが
今現実に役に立つかどうかなど甚だ怪しかった。

曹丕は学生だ。
コロニーの中では比較的エリートに分類される層の学生であった。
専門は生物であったが、それは単に施設が居住区から近かったという
理由だけである。それ以外に理由は無い。
ただそれだけのものであった。
しかし研究は嫌いでは無かった。
生物の中でも実験では無く古書を扱う部門に属しているので
これは曹丕の性質にあっている。
過去の遺物といえばそうだが、これがなかなかどうして
それなりに面白くはあった。
「曹丕」
聲を掛けられ、曹丕は顔を上げる。
同室の三成だ。
三成も大抵曹丕と似た様な思考を持つ合理的な男である。
曹丕と同じく、単に施設が近いとの理由で植物を専攻した男であった。
お互いそういったところのいい加減さが合うというか、
妙に気があうところのある男であったので
同室に配置されても諍いも衝突も無く、上手くやっている方である。
「この間の資料見つかったか?」
「三番の棚左から四番目」
曹丕が云えば、三成は棚に手を伸ばし、曹丕が出しておいた
資料を確認する。
古書担当の曹丕の仕事はひたすら過去の遺物の検討と整理にある。
実務として非常に優秀な手腕を持つ曹丕であるから
有用なもの、将来有用とされるであろう分野になるもの、
無用のものをより分け、膨大な図書を管理するのが仕事だ。
勿論生物に関してのみであったが、時折植物の書が混じったり、
また生物と植物の関連が皆無で無い本もある。
そういった関連で三成とは仕事上でも会うことが多かった。

「お前も実験に回ればよかろうに」
三成がそう云えば曹丕は僅かに眉を寄せた。
「興味が無いのはわかるが、そのうち辞令が下りるぞ」
上がお前を放っておくものか、と云う三成に
曹丕は苦虫を噛んだような顔をした。
「此方の方が性に合っている」
余計なお世話だ、と云えば、三成は笑い、曹丕の
用意しておいた古書を捲った。
古書が厭だ、という今時の人間は多かったが、
曹丕も三成も古書が好きだった。
捲った瞬間の古い紙の匂いや、インクが好きだ。
データ化された無機質な画面を見るより頁を捲る瞬間の
緊張が好きだった。
三成の捲った本には何かの植物が描かれている。
「何の植物だ」
珍しくカラーで描かれた頁を見て興味を示したらしい
曹丕が、梯子から降りてくる。
三成は頁を曹丕に見せ、クローバーだ、と云った。
しかしピンと来ない、名前くらいは聞いたことがあるが
どんな植物なのか曹丕は知らなかった。
「基本的には三つ葉でな、一般的にはシロツメクサと云われているな」
図を指して三成が云う。
「昔は多く自生していたらしいが、今は珍しい、種を見つけたので
育成する企画が通った」
「ほう」
曹丕が成る程と頷いて開かれた頁を見つめる。
鮮やかな緑の葉が眩しい。
「稀に変種で四つ葉のものもあったらしい、何でもそれを見つけたら
しあわせになれるそうだ」
「それは興味深いな」
迷信だろうと笑うが、あるなら見てみたい気もする。
「では、栽培してもし四つ葉があれば真っ先にお前に知らせよう」
そう云って三成は本を纏め、曹丕に手を振った。
曹丕はそれを見送り、愉しみにしている、と云って古書に目を落とす。

そんな話があってから暫くした後に、
三成の栽培は成功したが、矢張り四つ葉は無かったと云われた。
その代わりにと、三成が贈ってくれたものがある。
何処で見つけたのか、今では立派な骨董もののカップには
四つ葉のクローバーが印刷されていた。
ことり、とカップを揺らせば、中の水が揺れる。
それを窓の花の前に置いて、
曹丕は日常である古書に目を落とす。
時折、顔を上げ、四つ葉のカップを見つめ、
曹丕は微笑んだ。
悪くない、
こういったしあわせも悪くない、と
曹丕は微笑んだ。

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