07:初めてだからお手柔らかに

宴は盛況だった。
流石に妖魔の将と人の将、席は離れた場所に
設けられ各々が思い思いに言葉を交わしている。
遠呂智から杯を渡され拒むわけにもいかず
曹丕は酒を呷った。
血の味でもするかと思ったが
渡されたのは普通の酒だ。
無礼にならない程度に頭を下げ
曹丕は窓側へ身を寄せた。

「曹丕さん、愉しんでる?」
妲己が楽しげに寄ってくる。
胸を押し付けるほどに近いので
曹丕はそれを押しのけた。
「寄るな、妖魔」
その言葉に満足したのか妲己は口端をにぃと上げ
曹丕に顔を寄せる。
鼻先が付くか付かぬかの近距離だ。
妖魔の女の眼を見れば鷹のような眼をしていた。
「わたしからも贈り物、」
妲己からの杯など碌なものでは無い。
曹丕が顔を顰めると妲己はいよいよ愉しそうに
からからと聲を立てた。
「別に変なものなんか入ってないわよ、上質のお酒が
手に入ったの、さっき遠呂智様にもお渡ししてきたけれど
曹丕さんにもあげようと思って」
「いらぬ」
不要だ、と云えば妲己は眼を細める。
「曹丕さんの意地悪、三成さんとはあんなことした癖に」
「!!」
びくり、と曹丕の背が揺れる。
「わたし、見てるんだから」
妖魔の術の類か、と睨めば妲己は舌を出して
そのふっくらとした己の唇を舐めた。
舌舐めずりするような仕草はどこか獣のようだった。
「下種が、見たのならわかろう、あれはしたのでは無い、
されたのだ」
妲己を振り払うように廊下へ出れば妲己は抱きつくように
付き纏ってくる。
「どっちだって同じよ、曹丕さんが三成さんを殺さなかったんだから」
それが不思議なのよね、と妲己は云う。
「どうして殺さなかったの?」
いい加減うんざりして斬ってやろうと剣を抜けば、
あはは、と妲己が哂いながら飛び退いた。
「曹丕さん、分かりやすい!」
気付けば妲己の顔が近い、距離など無いと察した時には
熱いぬるりとした感触が唇にあった。
息をも吐かぬ激しさで『それ』を呑みほすと
妲己は満足そうに離れる。
「だから好きなのよ、曹丕さんって不器用で生きにくい、
まるで人間そのものよね」
残った杯を無理矢理曹丕に押し付けて
じゃあね、と煙を捲くように妲己は文字通り消えた。
曹丕は蹲り、それを吐きだそうとするが
もう呑んで仕舞ってはそれも遅い。
このまま宴に戻るのも煩わしい。
妲己の紅が付いた己の唇を拭い、曹丕は廊下から
続く庭へと足を向けた。

「曹丕殿が居られない?」
先程までは何事か妲己と話していた様子なのですが、
という兵の言葉に張遼が顔を顰めた。
「私はあちら側を探してきます、石田殿は向こうをお願いできますか?」
三成は無言で頷き、歩みを始めた。
宴と云ってもこれだけの大人数だ。
広間は雑多に人が溢れている。
それだけに曹丕を捜すのは至難に見えた。
手近な将に問うても首を振るばかりで曹丕の姿は無い。
舌打ちをしてから三成は廊下へと足を運んだ。
不意に花弁が三成を誘う。
遠呂智が異界を造ってから世界は異常だ。
季節さえばらばらに見える。
時折冬と夏、両方の季節の花が咲いている様などを
見た時にはそれがいっそう顕著に感じられた。
今もこうして季節に場違いな花弁が辺りを舞っている。
うっすらと何かの術か夜でも辺りの地面が光っているようで、
そんな幻想的な風景の中探していた男を見つけた。
「曹丕・・・!」
樹に凭れかかるように立っているのは曹丕だ。
寄れば「お前か」とつまらなさそうに三成を見遣った。
まさか毒を盛られたわけではあるまい、
曹丕の顔を身体を確認する。
確認する為に触れる度熱い吐息が洩れた。
「あの女・・・何を呑ませた・・・」
忌々しげに曹丕が云うが思うように身体が動かないらしい。
口元からは濃い酒の香がした。
「特別な酒だと云っていた・・・」
足もとに転がっている杯を拾うと殆どは
地面に流れていたが
其処に僅かに残りがあった。
それを鼻先に近づけて匂いを嗅げば
濃い芳香がする。
妖魔のそれでは無い、どちらかというともっと清廉なものだ。
透明な液体は蜜のように甘い香りを漂わせる。
仙界の酒なのかもしれない。
しかし人間には随分キツイもののようだ。
泥酔した様子の曹丕を支え、「帰るぞ」と立ち上がる。
不意に近くなった顔に三成は胸を締め付けられた。

口付けは、二度目だ。
あれから三成を遠ざけるように曹丕は振舞う。
それをわかっていながら淡々と仕事をこなしたのは
三成だ。忘れようとしても忘れられない。
まして今こんな甘い香りをさせて泥酔する曹丕を
独りになどしてはおけない。
引き寄せられるままにもう一度口付ければ
曹丕がそれに応えた。
「酔っているな」
普段のお前なら有り得ない、と云えば
曹丕は長い睫毛を伏せ、ゆっくりと哂った。
「酔っているのか、では充分過ぎるほど酔えばいい」
自棄になったように云い放つ曹丕がいとおしい。
「お前も酔え、酔って全て流して仕舞え」
「皆、何もかも夢であればいい、お前など夢であれば、私は」
言葉の続きは聞きたく無かった。
交わされる口付けは甘く、苦い、
酷い酔いの中、貪るように口付ければ
曹丕は哂い、そして三成の背に腕を回した。

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