07×見つけた宝物

「子桓様」
庭先で戯れる犬の様子を眺めている曹丕に
聲が掛けられた。
司馬懿である。
「手の御加減は如何ですか?」
曹丕は手首をゆっくり動かし、大事無い、と答えた。
「腫れも大分引いたようで安心致しました」
「お前には迷惑をかけた」
そう云えば司馬懿が、驚いたように顔を顰め、
それから、今日は槍でも降りますかね、と揶揄した。
「貴方様の心配をするのが私の仕事に御座います」
しかし、心配ごとは減らして頂きたいものですね、と
云われ、これ以降なるべく、危険なお遊びはお控下さいと
釘を刺された。
曹丕は手首をすっかり覆い隠せるほどのシャツを羽織り、
目立たないことを確認してから厚めの眼鏡をかける、
教師として教壇に立つ為に、素顔を隠して立ち上がった。

一方三成は、ぼお、と教室の窓から外を見ていた。
先日の一件で怪我をした上に、作戦も失敗に終わり、
予期できなかった災害に見舞われ、警察の仕事を増やして仕舞うという
大失態だ。怪我自体は大したことは無かったが、養生と反省の意味も
兼ねて、当分警察への出入りは禁止された上に手帳も取り上げられて仕舞った。
勿論これで前線から離脱というわけでは無い、
父からは三ヶ月学業と怪我の治療に専念しろ、とお灸を
据えられたが、それは父の心配もあってのことだと
三成は察している。
それがわかるだけに、当分怪盗皇子の件からは外されるのだと
思うと、怪盗皇子にあれだけの啖呵を切っておいて、やりきれない。
はあ、と溜息を吐き、三成は学生の本分を全うしようとしていた。

( 忘れられないのは・・・ )
何故自分が、あの怪盗に別れ際にあんなことをしたのかということだった。
( 接吻などと・・・ )
勢いにまかせたとは云え、これはもうどうかしていたとしか思えない。
しかし暗闇の中で、間近で見た怪盗は確かに世間で揶揄されるように、
否、恐らくそれよりずっと、
( 美しかった )
世間を騒がす怪盗皇子、すらりとした身体でしなやかに奪う、
そして優雅に一礼をして去っていく希代の怪盗、
何処から来て何処へ逃げるのか、その素顔さえ誰も知らない怪盗、
三成とて男色の気があるわけが無い、
だが衝動で行ったあの口付けに三成自身が動揺したのも確かだった。
( ただ・・・ )
刻みつけたかった、
自分が、自分がお前を追っているのだと、
お前を捕まえるのは俺なのだと、
覚えておけ、と、
怪盗のその身に刻みつけたかったのだ。
だからあれはやましい他意は無いのだと自分に言い聞かせて、
三成は改めて現実の授業に没頭していった。

その帰りのことだ。
三成は教師と廊下で擦れ違った。
長い髪に厚い黒縁眼鏡の、社会科の教師である曹丕だ。
曹丕と擦れ違った直後に三成は振り返った。
長い、絹のような長い美しい髪、
まさか、と思うが、
考えすぎか、と頭が警告を告げる。
これで違っていたら、なんともまぬけだろう、
思いすごしだと、考えなおす。
髪が長いだけで、誰しもあの怪盗にはならないだろう、
しかし小骨が喉の奥につっかえたようなもどかしさを感じて
先生、と呼びとめた。
「何か?」
教師はいつもの様子で興味なさげに三成に振り返った。
その様子に不審な点など微塵も感じられない。
厚い眼鏡の奥の眼は見えない。
三成にこの教師は推し量れなかった。
違うのだ、と
自分に言い聞かせて、
すみません、何でもありません、と謝って、
そのまま帰路へとついた。

そして気が付く、
そうだ、
「あの教師・・・」
いつもと、違う点がひとつだけ、
いつも右手で持っている教材を


( 今 日 は 左 手 で 持 っ て い な か っ た か )


あたりは夕焼けに包まれる。
三成の胸の内は疑心と、葛藤に呑まれて往く、
その行く末を三成自身もどうなるかなどわかる筈も無く、
ただ其処に立ちつくした。

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